20241123日 12周年シンポ文字ログ

(文字通訳の事業者より提供されましたデータです。正式な議事録ではありません)

 

 

(司会)定刻となりましたのでただいまより、介護保障を考える弁護士と障害者の会全国ネット、12周年シンポジウムを開催いたします。

私は、介護保障ネットの弁護士の関口と申します。

本日の司会を担当させていただきますのでよろしくおいいたします。

開会に先立ちましてご案内します。

1点目です。

本日の資料は、介護保障を考える弁護士と障害者の会全国ネットのホームページからダウンロードしていただけます。

今ご覧になっている画面の動画のすぐ下のコメント欄にホームページのURLを掲載しております。

コメント欄を見られない方は、介護保障を考える弁護士と障害者の会全国ネットと検索していただければと思います。

なお、画面でも資料を映し出しますのでご参照ください。

2点目です。

画面上でも字幕が流れますが、お手持ちのスマートフォン、またはパソコンで文字通訳を見ながらご視聴いただくことができます。

文字通訳をご希望の方は、介護保障を考える弁護士と障害者の会全国ネットのホームページに掲載されているQRコードからアプリをダウンロードしていただき、ご利用いただくか、またはWebブラウザからご利用ください。

ご案内事項は以上となります。

それでは、共同代表の藤岡毅より開会の挨拶を申し上げます。

よろしくお願いします。

(藤岡)共同代表の弁護士の藤岡毅です。

本日は多数のご参加ありがとうございます。

我々介護保障ネット、12年間活動をしてきました。

ちょうど干支で一回りということで、長いといえば長いけど、ただ、障害者の人権の歴史の中で言うと、まだまだ短い、と言えば短いかなと。

そのようにも思います。

私自身、障害者の方の支援に関わるようになったのも、かれこれ40年前ぐらいのことで、あの頃、衝撃的な記憶としては、障害者の方が、施設からアパートに飛び出して、ヘルパーの介護がなければ生きていかれないということで、自治体の障害福祉課とか生活保護課にときには座り込んで、ヘルパーの時間を獲得していく姿を、私も当時19歳の頃、初めて重度の障害の方の姿自体を見て、そういう姿を見て本当に目を丸くした記憶がありますが、本当に命がけで自分の生活を守るために戦ってきた、障害当事者の姿、戦いというのが、今、こんにちに続いているんだなということを常に感じております。

権利というのは、条文に書いてあるからあるのではなくて、そういう多くの先人の戦いの積み重ねによって、今があるんだなと思うわけです。

言ってみれば、例えばば、これもオンラインシンポという集会ですけれど、憲法に集会結社の自由を保障すると書いてあるわけですけれど、それはなぜかというとやはり、戦前なんかであれば、自由にものが言えないで、集会、一つの権力が、禁止という声がかかると禁止されている時代はあったわけですよね。

もしかしたら今日のシンポなんかでも、ある意味、行政を批判するような場合もあるわけでもし、時代が時代であれば、もう中止されていたかもしれないわけですけれどもそういうのもずっと長い戦いの中で勝ち取った表現の自由であったり、集会結社の自由であったり、そういうことを我々は享受できているわけで、そういう一見何気ない我々の営みというのも、先人の長い歴史の中の戦いで、切り拓かれたものなんだなと思っています。

実際今日のシンポジウムの中でも、当事者の方が、登場します。

実際、後半の事例報告の中では、当事者ご本人にご登場いただきます。

前半3件担当弁護士の方で、判例の報告をいたします。

そちらは、ご本人は出てきませんが、でもそれはご本人たちが皆さん、戦ってきたからこういう判例が勝ち取れているわけです。

原則今日は皆さんの名前は匿名では、行いますけれども、ですけど、こういうシンポジウム等に報告をさせてもらえる逆に言うと当事者の方が報告していいよと言ってもらえるということは、ご自身の生活を守るということ、もちろん、それから出発だけれど、皆さん自分の戦いの成果が、多くの人に及ぼされるようにという思いで、今日も参加いただいていると、ご協力いただいているということになりますので、営々とした当事者の戦いの営みということで、権利は進んでいくんだなということ。

改めて感じています。

一つは、時代の変化というのがあってちょうど12年ということで、何が一番違うかというと、SNSの広がり。

一番端的に言うと、スマホですよね。

スマホは話せない時代にはなってきていて、結局12年ぐらい前は、それほど、こういうシンポジウムなり、記者会見なり、裁判をやるよというときに、それほど、心配はしてなかったんですけど、今日の下山弁護士の報告にあるように、障害者が権利のために戦うという姿勢が表明されたとたんに、社会からバッシングにあう時代になってきていると、これも非常に深刻な時代テーマではあると思うんですよね。

ちなみに、2011年当時、スマホ普及率は15%を割っていたんです。

85%の人はスマホなんて見たこともないぐらいな時代だったんですが、2012年に、25%ぐらいになって4人に1人はスマホを持つようになって、もう今はほぼ100%近い皆さんが、スマホいじるというか、ある種、依存していて、電車に乗って、前の席で10人いれば10人ととも、スマホをいじっている、見ている、覗いている時代ですよね。

そういう時代の中で、スマホを開いたとたんに、自分の悪口が書いてあるみたいな状態は本当にしんどいわけで、そういう意味で、今日こういう場で協力していただいている当事者の皆さんの勇気を本当に心から尊敬をしたいと思っています。

そういう皆さんの勇気のもとに、このシンポジウムが成り立っているということ、すごく感じております。

ちょっと堅苦しい話にはなっていますが、実は、ウェビナーは、私も自分がホストをやるんですが、ウェビナーでやるのは介護保障ネットも初めてですので、私もウェビナーのホストは事実的に今日初めてデビューというぐらいで、最初から一つは不手際をお詫びするのが、皆さんのところに送られたZoomからの、案内の中のバナーが、13時開始になっていて申し訳ございませんでした。

すぐに気づいて、当時、3ヶ月前ぐらいに、13時半に変更した、作業をしたつもりだったんですが、それができていなくて、一部の方に、おそらく、なぜ1時開始と書いてあるのに始まらないんだということの不満を持たれた方もいらっしゃるかと思いますが、ちょっとお詫びします。

ウェビナーというのは、視聴者の方が、リラックスして参加できるというのが一つメリットだと思います。

要するに、寝っ転がって聞いても、お風呂入って、スマホ見てもいいですし、ある意味、お酒飲みながら見てもいいですし、それぐらいお気軽な気持ちで、リラックスして聞いていただければと思います。

あと、開会にあたってこのシンポジウムは、多くの団体の後援、バックアップをいただいて、今日に至って成立しているということで、ちゃんと団体をたまには読み上げたいなと思っております。

チラシを見れば、載っているわけなので、チラシを共有してみましょう。

違う。

ごめんなさい。

違うのを共有してしまった。

すみません。

なんでだろう。

失礼いたしました。

見えてないな、見えてますか皆さん、今日の後援をいただいている団体。

日本障害フォーラム日本身体障害者団体連合会手をつなぐ育成会ゼンコロリハビリテーション協会DPI日本会議、日本障害者協議会、日本社会福祉士会きょうされんグループホーム学会障害児者人権ネットワーク全国脊髄損傷者連合会日本知的障害者福祉協会悠翔会さん日本ALS協会、15団体のご講演をいただいて、成立しておりますので、改めて関係の団体の皆様に、感謝申し上げたいと思っています。

今日の企画の概要は、先ほどのチラシにあります通り、前半が我々介護保障ネットのメンバーが主任弁護士になって、三つの裁判をやって、判決も、出ていますので、そういう事案とか判決の概説をして、コメンテーターとして、在宅医療のパイオニア悠翔会の医師で、佐々木淳さんを交えながら、お話させていただく、佐々木医師の実践報告もいただく。

それが前半です。

後半は、最新の各地の事例報告ということで、東京の小平の報告。

担当弁護士および当事者およびそして、秋田県秋田市の担当弁護士当事者の報告をいただくと、そんな段取りが、本日の概要になっております。

資料は先ほど司会の関口さんからお話があったように、一つは、Zoomの配信で、行っておりますので、見ていただくと、どうしてもメールが見当たらないということは当会のホームページ、資料が全部載っておりますので、それを見ていただければと。

ただ、基本的に画面共有で資料を提示しながら、お示ししながらお話しますので、別に資料をお手元に必ず持ってなきゃいけないということにはならないようにやっていくつもりです。

以上ちょっと概要説明みたいなことになりましたが、3時間半、長いなと思われるかもしれませんが、正直、自分の判例報告なんか、たまに頼まれてやることがあるんですが、一つの事件を報告するのでも、2時間はあっという間という感じなんです。

今日は5件報告しますので、2×510時間あっても十分話せるぐらいの題材があるところを、ギュッと3分の1ぐらいに圧縮しているつもりですので、結構我々の感覚としてはあっという間の時間だと思います。

 

ただ、お聞きになってる皆様からすると長丁場という面もあるかもしれないんですけれども、先ほど申し上げたように、どこかリラックスした気持ちでお聞きになっていただければと思います。

長い開会の挨拶で恐縮です。

では一旦司会の関口さんに戻します。

 

(司会)本日のシンポジウムのテーマは「介護保障判例最前線から見える世界」です。

昨年から今年にかけて障害のある人の介護保障に関する訴訟で、障害のある人の人権を重視する画期的な判決が続きました。

本日のシンポジウムでは、355分ぐらいまでの第1部で「障害者・難病者が在宅生活を送るために必要なことは何か」をテーマに、三つの判決をご紹介するとともに、在宅医療の現場における最新の状況をご報告いただき、パネルディスカッションを行います。

45分から5時の第2部では、介護保障ネットのメンバーが全国各地で24時間介護を勝ち取った事例のご報告を行います。

このシンポジウムは遠いを通じて、当事者・支援者双方の立場から全ての人が社会できることに必要なものが何か、ということを一緒に考えたいと思います。

それでは早速、プログラムの第1部を始めます。

パネルディスカッションの司会の藤岡にマイクをお渡ししたいと思います。

それでは藤岡さん、よろしくお願いします。

 

(藤岡)また登場しました。

藤岡です。

では、第2部パネリスト全員、一応顔出しいただけますか。

佐々木さん、採澤さん、下山さん、よろしくお願いします。

虻川さんはまだです。

それでは第1部を始めさせていただきます。

一言だけ名前を紹介ということで、佐々木淳さんさん付けで、普段は先生と言ってますがパネルディスカッションはさんづけというものが、今普通でしょうから。

悠翔会リーダーとして、世界中を駆け回って、在宅医療の世界を牽引されている佐々木さんです。

よろしくお願いします。

 

(佐々木)よろしくお願いします。

私の方で画面共有させていただきます。

私は、ただいま藤岡さんにご紹介いただきました通り、在宅医療に従事している内科の医師です。

診療の中で、たくさんの障害を持った方とか、人生の最終段階の方に関わらせていただいています。

私達は、2006年に私が創業しました在宅医療専門のクリニックのグループで全国に24拠点運営してます。

168名のドクターとともに、常時9000人を超える在宅患者さんに24時間在宅療養支援を提供しています。

皆さんの中には在宅医療を既に活用されている方もいらっしゃると思いますし、在宅医療はよくわからないという方もいると思いますので、最初に私達のやってる在宅医療は何なのか、具体的なイメージでお伝えできたらと思います。

これは在宅医療のシーンです。

在宅医療というのは訪問診療という定期的な訪問と、それから緊急対応である往診、この二つの診療の組み合わせによって行います。

主たる診療は訪問診療で、定期的に患者さん訪問して継続的計画的かつ包括的な健康管理を行っているいうことになっています。

在宅医療利用される方の多くは、在宅医療利用できる条件としては、通院が困難であるということがあります。

通院が困難方は、多くの方は治らない病気や障害とともに生活されていますのに脆弱な方々がなるべく自宅で急激な体調変化が起こらないように計画的な健康管理をしていく、例えば薬を最適に調整したり、栄養ケアをしたり、そういったことになります。

こちらも僕の患者さんですが、お子さんなんです。

この子は生まれたときに、新生児期の問題で、今は人工呼吸器とそれから経管栄養という治療しながら生活しています。

こういった高度な医療機器の在宅での管理というのも私達の仕事です。

いろんな世の中的には医療機器を使って生きているというのを見ると、延命治療してるんじゃないかみたいなことを言われることが多いんですが、実際には多くの方が医療機器を使うことで生命活動を持続しつつ、命を維持することだけを目的とせずにそれによって得られた人生の時間をより有意義に生きたい、社会に参加したいということでこういった医療機器を活用されてる方が実は多いです。

私達は、こういう病気だからこういうふうにしなきゃいけないということではなく、その人たちの人生観や価値観、あるいはどんな人生を生きていきたいのかみたいなことに寄り添いながら、そのために最適な医療のケアの形はどういうものなのかということを、ご本人やご家族と一緒に話し合いながら日々診療をしています。

私達の患者さんたちの特徴は、病気はあるんだけれども、実は同じ病名でも元気な人たちの病気とはちょっと違う、何を言っているんだという感じがするかもしれませんが、例えば心不全という病気があります。

若い人にとって心不全はもちろん何か原因があって起こるわけですから、これを専門医にちゃんとかかってちゃんと治療する、あるいは管理する。

もちろん完治できないものもあります。

完治できるものは病院でしっかりと治療して社会復帰するということが目的になります。

具合の悪い臓器は1ヶ所だけですから、ここをきちんとケアすればこの人はまた普通の生活に戻れるということになります。

ただ一方で高齢者の方や障害を持っている方は、例えば心臓の機能が落ちていることがあるかもしれませんが、ただそれだけではないです。

様々な機能が全体的に低下をしていたり、あるいは障害を持っていたりします。

そうなりますと、これらの障害や病気一つ一つを丁寧に治療してそれを全部足し合わせれば、その人にとって最適なケアになるかというと必ずしもそうではありません。

また、この人たちの病気はなかなか完治が難しいです。

慢性的に経過して、徐々に進行していく、あるいはなおたように見えても再発をする。

であれば、この一個一個の病気をそれぞれの専門医がみんな見て、それぞれの病院にそれぞれが勝手それぞれから薬をもらうことではなく全体を見れるお医者さんが11個の病気ではなくたくさんの病気とともに生きるその人を見る、病気や障害を直せるものは直しますけれども、直せないからといって諦めるのではなく、この病気や障害とともにどうすればその人の望む人生が送れるかということを、地域の中で

模索していく、こういった形の医療がこれからですね、求められていくんだろうと私達は思っています。

計画的な訪問を通じてこういったことを患者さんご本人やご家族と一緒に話し合いながら進めていくわけですけれども、もう一つ大事な仕事が緊急対応ですね。

例えば熱が出たとか、急に酸素が下がったとか、こういった急変というのは、いつ起こるかわかりません。

それが起こったとき私達は24時間いつでも電話に出ます。

こういったことがご相談できる、相談できる環境にないと、結局119番を押すしかないってことになるかもしれませんが、病院に運ばれても、自分の訴えをきちんと伝えることができなかったり、あるいはそのまま入院になってしまうと。

こういうふうにしてほしいということは、更に伝えにくくなったりということがありますので、まず私達が1次対応するということですね。

この35000件の緊急対応のうちですね、3分の1ぐらい実際私達、往診で対応するんですけれども往診をすると何が起こったのかってことが把握できるし、場合によってはそれを自宅で治療していくってこともできます。

私達の主たる診療圏である東京都ですね東京消防庁はたくさんの方々を年間病院に運んでるんですけど、この緊急コールの対応件数というのは、例えば東京消防庁が1年間に救急搬送する後期高齢者の搬送件数の約12%に相当します。

またこの1万件の緊急往診の件数というのは、東京都立6病院が1年間に受け入れる救急車の台数の約4割に相当します。

在宅医療という大変地味な仕事なんですけれども、きちんと地域の中で機能すれば、医療資源の適正利用化にも繋がるということですね。

ちなみに呼ばれてから大体40分ぐらいで診療を平均で開始できていますが、これは救急車を呼んで病院に行って診察を受けるまでの所要時間とほぼ実は同じぐらいですね。

だから救急車を呼ぶよりも医者を呼んだ方が早いということがもしかするとあるかもしれないっていうことです。

患者さんのお宅に呼ばれた私達は、そこで何をするかというと、診断と治療をします。

例えばここに、画面に映ってるのはこれスマホですよね。

先ほど藤岡先生もおっしゃってましたけど、このスマホの画面に映ってるのは何かっていうと、これ実はお腹の超音波の検査の画像なんですね。

この黄緑色のものは何かというとこれ膀胱です。

実は超音波検査装置のプローべっていう検査の端子と、それからこのスマートフォンがBluetoothで繋がって、スマホ画面にエコーの画像が映ると。

ここでいろんなアプリが動いて例えば膀胱容積を自動的に計算したり、みたいなこともできるようになった。

こういったコンパクトなですね、デバイスが今非常に安価に利用可能なので、非常に在宅での診断というのも、幅が広がっていまして、いわゆる急変と言われているものが約9割は自宅で診断ができます。

自宅で診断ができると自宅で治療ができます。

例えば肺炎ですね。

肺炎は細菌感染症ですので自宅で抗菌薬の投与する、場合によっては酸素を投与する血液検査をして炎症の程度を図る、あるいは血中のばい菌がいないか、敗血症になっていないかをチェックする、こういったことは、おうちで今できますし、患者さんによっては定期的な輸血が必要な方もいますが、こういった処置も今自宅で行うことができます。

また、がんとか、呼吸不全とかの終末期の方はやはりいつの痛みとか息苦しさを取るために、オピオイドといわれる医療用の麻薬を使った緩和医療なども必要になりますけれどもこういったことも今自宅でやることができます。

おうちでできるようになると患者さんたちは入院しなくても自宅で安心して生活が継続できる。

私達の患者さんたちは在宅医療が始まる前の1年間で1人が年間平均延べ41日入院されていますが、在宅医療を提供してる私達はですね、私達の患者さんたちは年間平均入院日数、大体11日から12日なんですね。

1年病気が進む、1年歳をとる。

通常であれば医療依存度が上がって入院しやすくなってるんですけど、在宅ケアの体制がきちんと整えば、実は入院への依存度も大きく下がる。

ていうことなんですね。

これは患者さんのクオリティオブライフっていうだけではなくて、やっぱ社会資源の適正利用化という意味でもすごく重要な意味があるんじゃないかなと思います。

彼女は、管理栄養士ですね。

栄養士さんっていうのは栄養管理栄養治療を通じて患者さんたちの病気の治療を助けたり、患者さんたちの健康寿命を延ばしたり、あるいは生命意欲を改善したり、何よりも生活の質を改善したりといったようなことをしてくれる専門職です。

特に在宅で療養している患者さんたちの多くは、食べ過ぎ、飲み過ぎというよりも、むしろ食べたくても食べられない、食べてるんだけど体重が減っていく、こういう問題と直面している方が大変多いと思います。

どうやったらこの人の食べる能力で、美味しく食べて体重を守ることができるのか。

筋肉を増やすことができるのか、そういったようなことを食生活あるいは栄養ケアを通じてサポートする、こういった専門職ですね、実はこういう専門職も今、健康保険や介護保険を使っておうちに行くということができるようになっています。

中央に写ってる彼はこれ歯科医師なんですけどね、このおばあちゃんはご飯食べるのがちょっと難儀なので、お口のケアをして食べるリハビリテーションしています。

見ていただければわかる通り、この方は酸素吸入してますし、今食事ができないので中心静脈栄養もやってますけれども、こういった医療的ケアをしながら、でも食べるリハビリを進めることによって最終的には自分の力で食事をする、自分の力で呼吸をしっかりできるようになって、酸素も中心静脈栄養も離脱をして元気になっていく。

何となく要介護の高齢者とか障害の人っていうと弱ってしまうとですね、これはもう老衰なんじゃないか、病気の進行じゃないかってぱっと片付けられがちなんですけれども、やっぱりそこで回復可能性をきっちりと見極めて、本人がもう1回元気になりたい、元気になれるなら頑張りたいということであれば、一緒に頑張りましょうということですね。

これはいわゆる延命治療とは全然違う、本人が自分の生活や人生を取り戻すための支援ということになります。

なるべく急変をしないように、なるべく入院しないで済むように、結果としてですね、人生を全うする方は、最期、自宅から旅立っていくことができます。

日本以外の多くの国々はですね、病院ではなくて、自宅や施設で最期を迎える方が多いんですが、日本に関しては病院で亡くなる方の方がかなり多いんですね。

日本の日本人の約7割は、できたら自宅で最期まで過ごしたいと答えていますが、実際には7割の方が病院で亡くなっている。

これがちょっと残念な日本の現状です。

ただし、先ほど申し上げた通り、在宅医療がきちんと提供される、あるいは在宅医療が提供できるってのは自宅で生活が継続できるという前提があるわけですけど、この生活を継続するための、生活を支えるための支援体制がきちんと整えばですね、実は多くの方が最期まで住みなれた自宅で穏やかな時間を過ごすことができます。

私達の患者さんたちの病院死率は約3割ですね、オランダとかスウェーデンと同じぐらいなんですけど、制度としてはあるんだと。

この制度をきちんと活用できるということがとても重要なんだと思います。

私達は生き物ですから、体の機能にはピークがあります。

一般的には人間の体の機能のピークは20歳から30歳と言われていて、それから先どんどんどんどん弱っていくんですね。

こういう穏やかな体の機能の低下を経て、どこかで生命活動が維持できなくなる。

ここで最期を迎えるということになります。

ご存知の通り日本は栄養も衛生もですね医療も大変良いので、この期間はどんどんどんどん伸びているということですけれども、人生の最後の数年間、あるいは10年ぐらいはですね、病気や障害とともに、医療や介護とともに生きているというのが一般的になっていますし、最近は医療的ケアの必要な子供たちですね、もうきちんとケアが行われれば、きちんきちんと、やっぱり彼らも成長して、そして長い期間ですね、それなりに健康に過ごすことができるようになっています。

ただ、私達はでも体だけで生きているわけではありません。

実は人と人との繋がりの中で生きているという側面があります。

この人との繋がりっていうのは子供の頃は、まあね、ご家族とか学校の先生と友達ぐらいですけど、社会に出ていろんな人と繋がって、どんどんどんどんこの繋がりは強くなっていくだけど、大体男性の場合、定年を迎えると仕事を辞めて急速につながりを失われていき、そして子供たちもまた、旅立つ、巣立っていき夫婦2人暮らし、そして最後は1人暮らしというような感じで、繋がりってのはどんどん小さくなっていく。

とくに日本ではですね、高齢期に生きたいように生きられないという方が大変多いんですけど、これは体の機能が弱っているということよりも、むしろその人がどんなふうに生きていきたいのか、周りの人が理解をしてくれないとか、そういった生き方を支えてくれる人が周りにいないとか、そういった繋がりの欠如が、もしかすると人生の後半の自立を妨げている要因かもしれないというようなことも言われています。

私達はこの体の機能と社会との繋がりと、この二つの機能が、非常に重要だってことなんですが、実はもう一つあるんですね。

それは何かというと、実は私達の精神性、スピリチュアリティとか、いわゆる自我というものですね。

私はこうありたい、こういう人間でありたい、こういうふうにはなりたくないこういう気持ちっていうのは、多分年を重ねるごとに、人生でいろんな経験をするごとに、どんどんどんどん強くなっていくと思うんですよね。

この精神的機能は体の機能が弱っていっても、社会との繋がりが失われていっても、それでも実はどんどんどんどん成長していく。

そうするとですね、人生の最終段階というのは、体も弱ってしまって生きたいように生きられない。

だけど、こうありたいという気持ちが強くて、このギャップがだんだん大きくなっていく。

これが一つの私達の苦痛の一つでスピリチュアルペインっていったりもするんですけれども、ここの部分のギャップをどうするのかっていうのが、すごく大きな問題かなっていうふうに思います。

私達の人生はですね、全ての機能が成長していく子供たち、それから体の機能は徐々に弱っていくけれども社会的精神的には充実の続く現役世代、そして、社会との繋がりを急速に失っていく、主に前期高齢者の主に男性の方々、そして人生の最終段階ですね生きたように生きられないんだけどありたいという気持ちのギャップが大きくて、それが苦しい後期高齢者とか、あるいは障害や、不治の病とともに生きる人たちですね。

どういった医療的ケア、あるいはその社会的ケアが必要なのかっていうのは、その人生のフェーズによって大きく変わるんだってことは、これを見ておわかりいただけるんじゃないかなと思うんですが、体の機能がまだまだ本来は保たれているはずだけれども、急速に何か具合悪くなってきたぞってことであれば、これは何かが起こっているわけですから、病院に行って診断をしてちゃんと治療してもらう、これが急性期医療の仕事ですね。

だけれども人生後半になってきたり、あるいは不可逆な疾患にかかってその疾患が進行していったりする場合には体の機能ってのはどんどん落ちていくわけですよね。

これは何がしか治療すれば伸びるものなのか。

あるいはもうこれ以上延ばしようがないのかですね。

それをしっかりと判断をして、もし治療が困難であるということであれば、どうやったらその人が残された体の機能を最大限発揮できる環境を整えることができるのか、それによってその人が本来こうありたいという生き方をですね、取り戻すことができるのかっていうことを一緒に考えていきます。

不可逆な疾患だから、あるいは老化だから諦めなきゃいけないのか。

確かに病気の経過や老化の進行を止めることはできませんが、ただ生活の質を高めていくということはできます。

なぜならば、生活の質を左右するのは体の機能ではなくて、社会との繋がりだからです。

この社会との繋がりを、最後の最後までしっかりと保っていく、自分が望む暮らし、それを送るための環境を整えていくこれがもう一つの私達の大事な仕事ですね。

たとえ体がどんなに弱ったとしても、自分がこうありたい、こういう暮らし方をしたい、こういうふうに生きたい、そういう望みがですね、しっかりと叶うことができれば、私達は最後まで尊厳を持って生ききることができるんだと思います。

体のケアはもちろん大事だけれども、体のケアは目的ではありません。

目的はその人の望む生活、人生の継続、そのために体のケアをしつつ、やはりその人がやはり暮らし続けられる環境を整えていくってところに、私達はもっと関心を持たないといけないんだろうと思います。

こういう体を支える医学的な見地に基づいてエビデンスベースドメディスンですね、科学的根拠に基づいた医療をきちんと提供していく。

これはもちろん大事なんですけれども、もう一つ大事なのは、生活を支える、その人が残された機能で、その人が望む暮らしを送るために、どんな環境が必要なのか、どんな支援が必要なのかを考えていくということですね。

昨今ACPというのがですね、もっと推奨しなさい、どんどんどんどん推進しなさいってことでやってるんですけど、皆さんACPって聞いたことあるかもしれませんが、どこまで治療するのか、急変時は救急搬送するのか、入院するのか。

例えば神経難病の方であればですね、気管切開するのか、人工呼吸器装着するのか、経管栄養をするのか、そして最期は自宅で、あるいは施設で、あるいは入院で、こういったことを考えておけみたいなことを言われるんですが、これって、なかなか普通の人が判断するのって難しいんですよね。

やっぱり私達が最初に考えなきゃいけないのは、今、病気がある、障害があるかないかは置いといて、私は人生において、どんなことをしたいのか、どんな生活を送りたいのか、人生において大切なものは何なのか、あるいは死ぬまでにこれはやっておきたい、これは絶対にやりたくない。

それは何なのか、これをまず明らかにすることなんだと思うんですね。

この生活モデル的なACPがきちんとできれば、ここからおのずと、こちらの答えは出てきます。

最初にどこまで医療するか決めろっていうのは、これちょっと話の順番としては間違ってるんじゃないかなと思うんですよね。

この医学モデル的ACPで難しいのは、やっぱりその、どこまで治療するのかってことなんだと思うんですね。

治せる病気は治さなくていいのとか、あるいはこの治らない病気っていうのをどこまでケアするの?っていうそういう命題っていうのは、私達現場で常に直面をしています。

そんなときこれまではですね、この医学的適応、つまり、この病気は治療できるのかっていうことだけに着目をして治療できるんだったら治療しようよもう元々治療できないんだったらもう治療せずに緩和ケアで看取りにしようよみたいなことを、何となく安直にやってるんですけど、やっぱりその治療できるかどうかだけで治療するかしないかっていう判断はしてはならない。

これが臨床倫理の考え方ですね。

治療できるかどうかってのは重要なファクターですけれども、それよりも大事なのは、治療によって本人が幸せになるのか。

あるいは本人は何を希望しているのか。

あるいは周囲の状況はどうなのか、家族の思いは、あるいは本人がこういう療養、こういう治療、こういうケアを希望したときに、それが提供できる体制にあるのか。

この四つのファクターをテーブルに並べてみて、本人にとって一番幸せな状態は何なのか、それを実現するための最善の選択は何なのか、これを一緒に考える、これがすごく重要なんですね、意思決定のプロセスということになります。

意思決定支援という言葉があるんですよね。

意思決定支援とわざわざ「支援」っていうふうにつけているのは、意思決定がなかなか難しいからなんですよね。

この意思決定支援というのは、本人が意思表示できる場合とできない場合、二つのパターンがあると思うんですけど、かつての日本というのは父権主義と言いましてお医者さんが一方的に方針を決めて、それを患者さんに押し付けるということをやってました。

例えばお、ばあちゃんもう食べられないんだったら胃ろうにするしかないよとかですね、鈴木さんの病気はもう治らないから人工呼吸器つけたって単なる延命で苦しいだけだからつけないよ、とかお医者さんが一方的に決める。

こういう時代が非常に長かった。

つい最近まで。

今も一部残ってるかもしれません。

だけど自分の体のこと、自分の命のことは自分で決めたいと誰もが思います。

そこで出てきたのが患者の自己決定という考え方ですね。

患者さんが自分で決めます。

例えば私は人工呼吸器をつけます。

私はつけません。

でもそれ何を根拠にそれを判断するんでしょうか。

例えば人工呼吸器をつけて生きていくってどういうことなのか、そのことを理解できてないのに、人工呼吸器を付ける付けないっていう判断って、多分できないと思うんですよね。

医療技術も日進月歩で、様々な選択肢が増えてくる中で、その選択を本人だけにやらせることが果たして妥当なのか、本人が全ての病気についての全てを理解し、自分の状況をきちんと理解し、現時点で選択しうる選択肢を全て理解し、その選択をしたときに何が起こるかを全て理解した上で、私はこれだと決めたんであれば、それは確かにそうかもしれませんが、実際には多くの場合患者さんは病気のことを必ずしも全て全体的に理解できていない。

自分が置かれている病状のことを正しく理解できていない。

自分が持っている選択肢の全てを理解していない。

こんな状況の中でですね、洗濯をしろと言ってもなかなか難しいんじゃないか。

だからこそ、先ほどと、先ほどちょっとお示した通り、医療専門家も入って、一緒に考えようっていうのが、最近のトレンドになっています。

これシェアードデシジョンメーキングと言います。

私達医療者が患者さんに、病状経過の見通しを説明し、どんな選択があるのかを伝え、そしてその選択をしたときに何が起こるのか、どれぐらいの確率で何が起こるのかってことを伝える。

その中で、患者さんが自らの意思で自分にとって最善と思える選択をですね、できるように私達がサポートするということになるんですね。

ただこの共同意思決定の中で、実は、かかわるお医者さん、あるいは医療者によっては選択肢がですね、限られたり、あるいはその人が意図的に選択肢を隠したりすることも生じます。

そうなってくると、患者さんはですね。

準備された選択肢に誘導されてしまうみたいなことが起こるんですね。

胃ろうをつけるっていうのは結構大変だよね。

やっぱりあれはなかなか延命治療になりますから、医療費も…とかブツブツ言われると、胃ろうなんてしない方がいいのかなって思ったりする人もいるかもしれませんし、人工呼吸器をつけるってのはつらくてね、家族は一生、本人のケアをしなきゃいけないから、誰も幸せにならないんですよみたいな説明をされると、じゃあ人工呼吸器なんてつけちゃ駄目だよねって思っちゃうかもしれません。

なので関わる人たちの関わり方によっては、本人が自らの意思をきちんと表出できないというケースも出てくるんですね。

また病気の経過によって病気が進行すると自分の言葉で自分のしてほしいこと、自分の希望、あるいはして欲しくないことを言葉でちゃんと伝えられないっていう人が出てくる可能性があります。

そんなときにどうするかってことに対しての備えも必要です。

父権主義時代には何を言ったってお医者さんが勝手にやっちゃうわけですから、こういう備えは必要なかったかも知れませんが、患者さんが自分で決めた、自分で決めるっていう場合には、事前指示書っていうものを準備します。

だけど、この事前指示を書くにあたっては、やっぱり自己決定がもとになりますから、この自己決定が合理的にきちんと納得できる形でできてるってのはすごく大事なことですね。

共同意思決定の場合にはみんなで話し合って決めるわけですから、わざわざ紙に書いたりしなくても、その話を聞いてた私達は、その人の方針を理解することができますけれども、ただ大事なことはですね、一個決めて、それで終わりってことではなくて何度も何度も話し合いを重ねていくっていうことですね。

その話し合いを重ねるっていうことよりも、日々の診療とか日々のケアの関わりの中でいろんなお話をしていると、その人がどんな人なのか、何をしたら喜ぶ人なのか、何が嫌な人なのか、そういうことって何となくわかってくるんですよね。

そうすると、こういうことが起こったらこういうふうにしてくださいってことをあらかじめ明確に文章に残しておかなくても、いざその状況になって、本人が意思表示できなかったとしても、関わる私達は、鈴木さんってああいう人だったから、こういうときは絶対にこういうことはして欲しくないと思うよとか。

鈴木さんは前にああいうことを言ってたし、多分こういう状況になったら鈴木さんはここまで治療はしてほしいと思うと思うよとか、その人の代わりに、しっかりと代理意思決定ができる状況が作れると思うんですね。

こういう対話の積み重ねの中から、本人の人生観や価値観、優先順位や判断基準を周りの人たちが理解をする。

それによって本人が安心して代理意思決定を委ねられる、そういうコミュニティを形成していくのが、実はそういったプロセスが今言われてるACP、人生会議ってことなんですね。

何となくACPっていうと会議を開いて方針を決めてそれを記録に残しておけみたいなことのように理解される方多いんですけど、話し合って決めるのは共同意思決定、それを紙に書くのは事前指示ですね。

ACPというのは日々の対話の積み重ねの中でその人のことを理解し、その人が安心してそこから先委ねられる、そういったコミュニティを育てていくプロセスがACPなんだっていうことですね。

とはいったって、今は話し合って決めることはACPだと言う方も多いので、ACPには二つあるんだっていうふうに私達は理解をしないといけない。

一つは会議をして何かを決める。

人生会議ならぬ人生決議ですね、こういった、これは大概医学モデル的な意思決定ですけど、入院するのか治療するのかみたいなことをその場で決める、こういった形のACPと、こういったものを重ねながらですね、ご本人もいろんな人と話しながら、自分はこういう人間なんじゃないか、こういうふうなことをしたいんじゃないか、何となくその人にとっての真のニーズを、本人も自分自身が気づきつつ、私達もそれを理解してしていく、対話継続型のACPと、二つあるんだっていうことですね。

でもやっぱり長い病気の経過の中で、やっぱり信頼できる人たちと話をしながら、何かあったらこうして欲しいっていうふうにサインをするよりも、やっぱり佐々木先生が関わってくれてるから何があっても安心だ、みたいな人間関係を築いていった方が、私達はやっぱり快適なんじゃないかなと、私は思います。

この会議のようなACPをするときには、やっぱりいろんな問題が生じやすいっていうのがありますね。

例えばご本人様がですね、やっぱり遠慮してしまって言いたいことが言えない。

本当は私は死にたくない最後までちゃんと治療し治療して欲しいんだけど、何となく主治医の先生はまあ、延命治療なんて大変だよねってなんて雰囲気を醸し出してるし、家族も何か介護で疲れてるみたいだから、私はそろそろ旅立った方がいいんだろうか、みたいにちょっと気を遣ってしまうこともあるし、あとやっぱり病気の状態によっては気持ちが落ち込んで、今は考えられないっていうような方もいますよね。

あるいは本当はこういうふうにしたいんだけど、もう無理だ、諦めてる。

だからもうどうでもいいっていうような方もいらっしゃいます。

だから本人に諦めさせて、諦めるでいいよねっていう言質を取るってことではなくて、あなたは本当の気持ちはどうなの?ってことをちゃんと本人の気持ちを引き出すような、やっぱりそういうアプローチが必要ってことになりますよね。

それから意思表示はあるけれども、表出が困難なケースっていうのはあります。

例えば発達障害の人、認知症の人、それから、あるいは神経難病などで具体的に声を出すことができない人、こういった方々は、なかなか細かいニュアンスが伝えられなかったり、言いたいことが言えなかったりですね。

あるいは周辺からこの人は自分で判断できませんって言われてしまって周りが私が勝手に決めたりみたいなことが起こることもあります。

だけど、実際にはみんな気持ちがある。

認知症が進行したって好き嫌いが言える。

あんたのこと嫌いって言える人はちゃんと意思表示できるわけですから、本人の意思がどこにあるのかってのは、やっぱりみんなで考えないといけないですよね。

それからみんなで話し合って決めようって言ったときにはですね、特にキーパーソンっていう人がそこにいて、私はこの人のことをよくわかってますけど、この人はこういう人なんです。

だからこういうふうにしたいですとか、そういうことを言っちゃって、本人がですね、やっぱり自分の気持ちが言えなくなっちゃうようなこともあるんですよねそういうちょっと声の大きい方がいたらちょっとちょっと横に置いといて、本人の本当の気持ちを誰かが落ち着いて話せる環境でしっかり引き出すみたいな工夫も必要ですし、あるいはその熱が出た酸素が下がった病院に行くの行かないの?今決めて、みたいなことになったときにはですね、やっぱりそれでもやっぱり本当の気持ち、本人にとっての最善がきちんと落ち着いて判断できる環境を作っていくってことが必要だと思うんですよね。

行くの行かないの?っていうことではなくって、本人が大切にしているものは何なんだ、病状経過の見通しはこうなんだ。

だったら、家でできるところまでやって駄目だったら病院に行こうかとか、いろんな選択が本当はたくさんあるはずなんですよね。

だから、ABか、イエスかノーかのような単純化した意思決定をさせないってこともとても大事だろうと思います。

特に障害のある方の意思決定支援ってのはなかなか難しいんですよね。

この意思決定支援というのは実は大きく三つのプロセスにわかれます。

一つ目はですね、意思形成支援、二つ目は、意思表出支援、そして三つ目が、意志実現支援です。

意思形成支援というのはこういうことですよね。

どんどん病気が進んでいくんだ、何もしないと呼吸が止まってしまうらしい。

どうしたらいいんだ、考えたくない、考えられないみたいな方がいるし、あるいは何か決めたんだけれども、本当にあれでいいのかな、本当にこっちでよかったのかな、じゃあこっちでも元々の方がよかったのかなって、最後の最後までやっぱり悩むんですよね。

本当の本人の気持ちってのは実は本人にもわからないみたいなことがあるので、この意思形成支援ってすごく重要なんですね。

いざ私はこうしたいってことが何となく固まってきたんだけれども、だけどそれを上手に伝えられないっていう人もいます。

例えば神経難病の方は文字を入力して、あるいはね読んでもらって伝えていくので、私達みたいに細かく細かくペラペラペラペラ喋れない。

だから、限られた言語の中からイエスかノーかしか伝えられない人もいるかもしれませんけど、やっぱりでもそこには細かいニュアンスがあったりとか、一度言ってわかりましたって言われた後に気持ちを変えたいと思っても、そこで誰か文字を読んでくれる人がいなければ、言葉を読んでくれる人がいなかったら、途中で修正できないってこともありますよね。

こういった意思表出支援も必要なんだ。

それから三つ目、これ今回の重要なテーマなんだと思いますけれども、いざ、私は家に帰りたい、家でこういうふうに暮らしたいと言っても、あんたそんなの無理だ。

病院だって決めちゃうお医者さんっているんですよ。

家に帰れるわけないだろ、施設に行けって言って入れられちゃう人もいるんですね。

あるいは家に帰ってきたんだけれども、十分なケアの体制が整わなくて、家族に大きな負担がかかってしまって家族が倒れてしまって、結局レスパイト入院でそのまま施設みたいな感じの方もいらっしゃいます。

なのでこの、まずは自分自身の意思に気づく手伝いをする、そしてそれをきちんと伝えるお手伝いをする、そして選択された本人の意思をいかに実現するのかってことをちゃんとサポートしていくこともとても大事です。

もう本当にこの人お医者さんのですね意向がやっぱりここにすごく大きく影響してるっていう一つのデータがあってですね、例えばそのALSの方が入院して最終的に人工呼吸器付けるか付けないかですね。

実は入院した病院によってかなりこの差があると。

入院した方のほとんどが人工呼吸器をつけるという病院もあれば、人工呼吸器はほとんどつけませんという病院もあるんですよね。

これは入院した病院の、例えば方針とか、かかった主治医の方針によってやっぱり大きく影響されていると思わざるを得ないと。

平均すると三、四割って言われてますけど、多くの方が安心して選択できる病院もあれば、多くの方がもしかすると諦めている病院もあるのかもしれない。

あるいは無理やりつけさせられてる人もいるのかもしれませんけど、ここら辺のところで、本当に患者さん本人の意思が治療方針に反映されてるのかっていうのはやっぱりちょっと考えていく必要があるんだろうと思います。

私達が在宅医療はですね、患者さんたちの人生に伴走しながら、今人生のどの辺にいるのかなとか、ここから先、どんなことが待っているのか。

あるいは、いろんな生き方が、いろんなルートがあるんですよね。

その中で、ご本人にとって最善の選択は何なのか、その選択をするために必要な準備は何なのか、あるいはそれを選択したときに何が起こる可能性があるのか。

そしてそれが起こったらどうすればいいのか、そのときにどんな選択があるのか、現時点で何を準備しておくべきなのか、あるいは誰にこの旅をガイドしてもらうかですね、こういうことを日々の関わりの中で対話をしながら進んでいきます。

その中で患者さんご本人も本当の自分の気持ちってどこにあるんだろうっていうのを探していくんですね。

最終的に、徐々に旅が進んでいくにつれて、自分はこういうふうに生きていきたいんだっていうのが、だんだん明確になっていく。

医療というのは患者さんの幸せを実現、サポートするためのものですけれども、今非常に細分化をされて、しかも治療だけに専念する先生方もいらっしゃる中で、いかに生活の改善、生活の継続、望む暮らしの実現をサポートするのか。

その全体像をサポートする専門職がいないっていうちょっとなかなか厳しい現状ではありますが在宅医療ってのはこういうものなんだっていうことと、特に難病や障害をお持ちの方々の意思決定支援や療養生活の継続にどんな障害があるのかっていうことを、話題提供させていただきました。

ご清聴ありがとうございました。

 

(藤岡)佐々木さんありがとうございました。

一つちょっと運営側からのご報告として、画面共有しているとき、スポットライト機能で、そこが強調されるようにするんですが、一方で情報保障のために字幕、今、業者さんにUDトークを使いながらも3人の人に修正をしていただきながら、文字表示をしております。

その画面とスピーカーのお顔と、資料と、三つを同時に表すのが現実的に難しくて、今、情報保障、文字を示す場合には、スピーカーの顔が見えない状態での配信ということになりますことをお断りします。

では中身に戻りますが、佐々木さんお顔はお戻しいただいて。

我々、介護保障ネット、障害を持った人と弁護士の共同チームですが、今日のパネリスト3人はみんな法律家、弁護士です。

そのために、弁護士以外の視点からもお話をいただきたいということで、お医者さんの佐々木さんにお願いをしたということですので、後ほど3人の弁護士からのご報告について、とりあえず報告直後に佐々木さんからも何か一言、お気づきの点とかいただいてやりたいと思っています。

佐々木さんの報告に関しては、佐々木さんが言うわけにいかないので、私の方で、印象的に残ったのは、悠翔会さんのすごい実績というのがやっぱり印象に残って、東京都立病院の救急車受け入れ件数の37%の緊急往診、1899件を悠翔会が担当しているという。

この率にはちょっと驚愕をしました。

これだけ強力にやられているということに驚きました。

後半の話、いろいろ話していると切りはないんですが、やっぱり障害を持った方の意思決定支援の辺りというのは、我々も考えさせられるところがあります。

我々弁護士って、仕事のスタイルが基本的に委任状を受けて、委任の意思に基づいて仕事をしますということで、既に、例えば、離婚事件についても、離婚をするのかしないのかあたりはもう済んでいて、離婚を決めましたから、離婚手続きを依頼しますという、意思決定が済んだ後に手続きをすることを基本的なスタイルにしているので、そこは得意なんだけど、離婚するのかしないのか、人工呼吸器つけるかつけないか、施設にいるのか、病院にいるのか在宅にするのか、そこでいろんな葛藤で悩んでいくことを意思形成したり、サポートしたりという場面については正直、本業じゃないみたいな思いがあるので、苦手意識があるところは正直あるんですね。

だけどやっぱり我々そこを全く考えないで、あなた決めてくださいよと突き放して仕事をするのでは、それは何か大きなことが見えていないでしょうから、今日の佐々木先生、佐々木さんのお話も、もう一度我々も噛みしめ咀嚼しながら日々の実践を振り返りたいなと思いました。

一旦佐々木さんの報告は以上ということで、次は藤岡の方の報告に入らせていただきます。

自分でまずは…。

自分のパワポを開き、スライドショーをして、画面共有。

どっちだ?松戸市ALS24時間介護保障訴訟の報告、サブタイトル、家族の介護時間をゼロとした判例の意義、ということでお話をいたします。

このシンポに参加されている方の多くは、福祉の基礎知識をお持ちの方が多いと思いますが、広く呼びかけています。

新聞報道もあったように、1人でも多く、広い市民の皆様に声をかけていますので、あまり福祉のこととか普段知らんよという方にも、ぜひご参加いただきたいというシンポジウムですので、基本的な日本の障害福祉の流れの、ざっくりとした流れを一応確認しておきます。

戦後53年間、措置という時代がありました。

要するに、お上ですね。

行政が、その当事者がどうやって生活をするのかは、お上が決めると。

いう仕組み。

これが53年間続いたということになります。

例えば、身体障害者福祉法等もそういう構造になっていたわけですね。

それが2000年の介護保険導入という、高齢者福祉の世界の流れの3年後、障害福祉の世界でも、措置から契約へということで、措置制度から、当事者が事業者と契約をするというスタイルになって変わりました。

それが、支援費制度というのが、2003年度、法律自体は身体障害者福祉法とか知的障害者福祉法とか、そういう法律です。

ですが、支援費時代は3年間だけあったわけです。

支援費制度の後に、2006年度から、障害者自立支援法が施行されて、7年間、この法律はありました。

今は2013年度から施行されている障害者総合支援法の時代ということになります。

ただ、法律番号というのを見てみると、平成17年法律第123号という法律は、自立支援法も

そうで総合支援法もそうだということで、名称は変わっていても、法律の同一性というのは実は、自立支援法と総合支援法というのは同じなんですよね。

そういう意味で今19年、まあ基本的に同じ法律が続いている状態。

ただ、自立支援法もいろいろ問題があったことがあり、違憲訴訟等もあって、変革もなされた上で今、総合支援法の時代という、非常にざっくりした流れを確認しておきます。

これはですね、今日後半で、我々介護保障ネットの12年間の報告をしてもらう長岡健太郎弁護士が担当した事件で、和歌山ALS訴訟というのがありますので、一応それを確認しておきます。

今兵庫の弁護士ですが、当時和歌山の弁護士長岡さんが主任になった事件で高齢のALS患者さんが、自宅で障害者、当時、自立支援法の介護を受けて生活をすると、いう中で、自治体はなかなか介護時間を認めてくれないので、裁判を起こさざるを得なかったという事件でこれが仮の義務付けというですね、仮に仮処分行政上の仮処分の決定が2011926日に下りたわけですね。

高齢の男性のALS当事者ですが、やはり高齢の奥様が同居者としてあったという事案で、裁判所は、最低でも20時間、それ以上の介護を公的に与えなさいという仮の義務付け決定を出したという画期的な決定がありました。

ただし、これは東京高裁はこの年の11月に緊急性が認められないとして、取り消されてるということです。

この判断自体、我々、到底理解できないんですがちょっとそれ時間がないので、その程度に止めます。

結局今、仮処分事件ではですね、原告が障害者が負けちゃったんですが、仮ではない、本当の本案訴訟というですね、本裁判の方では、勝ったんですね。

和歌山地裁は、2012425日高橋裁判長でしたかね。

121時間以上を義務づけるという。

これ仮じゃないですよ。

本当に自治体がそういう支給決定をしなければならないっていう命令ですよね、を出したということで、これは控訴されずに確定していると、いうこれが一つの先例として長いことこういう事件の状況は同居の配偶者となり家族がいる中で、人工呼吸器等を付けた患者の在宅介護に関しての基本的な判例だったということになりますね。

そもそもALSという病気ですけれども、重篤な筋肉の萎縮と筋力低下をきたす運動神経系の変性疾患で、いまだ発症原因不明な進行性の難病と言われている。

従来言ってみれば一昔前ALSというのを、医学も、一言で言うと3年程度で亡くなる原因不明の終末期患者という見方をしてきたわけです。

しかし近年は在宅支援の福祉制度も整備され、人工呼吸器さえ装着すれば、30年以上様々な社会参加を行いながら在宅生活を行うALS患者の姿は当たり前となりつつあるわけですね。

症状は足の力や手の力が徐々に弱くなり、食べ物、飲みにくくなる。

喋りにくくなる。

体全体の筋肉の力が、多くの人は2年から4年ぐらいで弱くなり、息苦しさを感じるようになるというような症状が多くあります。

症状が進行すると呼吸困難となり、人工呼吸器を装着しないと生命の維持が困難となります。

自力では動けないものの、知覚や感覚は障害されずにALS発症前との変化はないと言われているわけです。

ここで確認しておくことは、人工呼吸器を装着すると、痰の吸引等の医療的ケアを含む124時間介護体制が不可欠となるため、介護が大変になるということで同居家族にご本人が気兼ねをして、人工呼吸器装着の選択ができずに亡くなっていく患者が多いというALS患者の現実があるわけですね。

実際支援に関わる関係者の感覚では、人工呼吸器装着を選べる人は10人中3人程度と言われていると。

実際ここに書いてあるような、論文でも、そういう数字は出ていると。

つまりALSを発症した人の7割程度は自死を選んでいる。

死の選択をしているという現実があるわけですね。

そのように生きることを断念する、そういう要因には、職業ヘルパーによる124時間法的介護によって暮らす権利があるということをご本人や家族が知らない、あるいは知らされていないということ。

あるいはそのような権利の実現を様々な口実をつけて認めようとしない行政の姿勢などがあります。

また実際にそれらの介護を担う事業所や人材が見つからないという実情もあります。

結局はそうさせている国の貧困な介護報酬政策など、そういうものも原因として考えられるわけですね。

実際、今日三つの裁判で、権利を獲得したのは、障害福祉制度の中の重度訪問介護という重度障害を持った方が在宅生活を送るためのヘルパー制度ですよね、この制度を利用している人が、令和510月のデータで、13000人ぐらいとそんな数字になっております。

重度訪問介護っていうのはちょっとここら辺は、定義ですけれども、入浴とか排泄とか食事の介護、外出中の移動、そういう場合の介護を総合的に供与するんだということ、あるいは、様々な介護の事態に対応するため、見守りなどの支援、そういうものが比較的長時間にわたり総合的断続的に提供される支援だよということで、これは介護保険の訪問介護とは違って、見守りを含む比較的長時間にわたる支援だよということが、これは国の方のを文書で繰り返し繰り返し出ていると。

ただ現場では、介護保険と障害福祉の違いがなかなか理解されない現実もあるということになります。

さて私のテーマの本題、昨年1031日の千葉地裁判決詳しく知りたい方はですね、「賃金と社会保障」という月に1回出ている雑誌。

これはネットでポチンとすれば買えます。

これの今年の2月下旬号にこの事件の特集があります。

判決文があり、また金川めぐみ教授の判例評釈があり、私の解説も載っております。

これはご本人とそのそばにいるパパのそばが大好きな僕という息子さんの姿になります。

これは判決が出た後のですね、東京新聞ですね。

最初に言うの、あれでしたけど、著作権許可、本日の新聞は4社で出てきますが、全てちゃんと許可を得ております。

ここにあるように、24時間公的介護の必要性というものを司法が初めて認定したという意義があるということで、こういう判例をもとに、そういう重度の障害を持った人は家族が支援するのが当たり前でしょうという考え方、それがそうじゃないよねと、「家族のケアが当然」ではない社会というものを、認めていく。

そういうための判例の意義があるだろうという新聞記事ですね。

後ほどでも、後で読んでいただければと思います。

改めてこの判決の特徴をざっくりまとめると、もう家族の単独介護時間をゼロにしなさいよという、命じたことですね。

従来は、東京の配偶者あるいは親なりかなり身近な親族が家の中にいる場合にはその人に面倒見てもらえばいいんじゃないかということで、公的な介護時間というものが、削られたりっていうことがあったわけですけれども、この事案、判決においては、この事案においては少なくとも1人で、実際奥さん、ALSの旦那さんに対して、妻が介護を強いられている現実な中で、その裁判長は、1人で介護をする時間っていうのはもうなくしなさいと、基本的には、職業専門のヘルパーに、基本的には支援が、されるように保障しなさいっていうことを命じたという判決の特徴になります。

司法が行政庁に対して、一人暮らしであれ、同居が同居家族がいる場合であれ、124時間の公的支援を命じた初めての確定判決、判例ということになります。

とりわけ、41歳の同居配偶者がいる事案において、124時間公的支援を司法が命じたことということで注目を集めた判決ということが言えます。

原告はですね、昭和36年生まれで、24年間ですね、大きな、ある機関のサラリーマンをやっていてときには海外でも働いてですね、結構、世界を股にかけてっていうぐらい活躍されていたサラリーマン。

平成30年にALSの診断を受け、令和39月、症状が進行して退職を余儀なくされました。

家族の状況というのは全て妻に負担が集中していた状態です。

令和3年頃の状況を振り返ると、3歳の長男の養育育児がありました。

96歳の義理のお母さん。

認知症であり末期がんのお世話もされていました。

当然料理・掃除・洗濯もろもろ、家事全てを妻が担っていました。

夫が病気で就労不能である以上、妻が稼ぐしかないわけで、その妻が、会計事務所のアルバイト職員で仕事をすると。

これが前提となり、なおかつ行政は、その旦那さんALSの常時たんの吸引が必要な夫の介護を1日、毎日3時間以上できるでしょうという認定をして、介護の決定を拒否し続けていたということですよね。

重度訪問介護の申請を令和元年にした後の時間数の推移ですが、令和元年に18時間程度、令和2年に110時間半ぐらい、令和42月に、18時間ぐらいになってということで令和43月に一応18時間45分程度にはなりました。

ですけど124時間あるわけですから、やっぱり、5時間足りないわけですよね。

介護保険のヘルパーも1時間程度入っていましたので、介護保険を差し引いたとしても、4時間は毎日ヘルパー不在状態だったわけですよね。

もうそうすると先ほど言った集中していた様々な負担というものをこなすということは不可能だろうということで、24時間介護の申請を繰り返し家族はしていたんですが、もうどうにもならないっていうことで、令和4年の59日に藤岡に委任がありました。

そのためその月、530日に24時間の申請を代理人の藤岡がしました。

6月に自宅で勘案調査があり、7月に市町村審査会が開かれて、意見陳述を、当時、コロナが大変でしたのでWebで代理人の藤岡もしましたし、ご本人自身もですね、意見陳述を、当時まだ発語ができましたのでご本人がしたということがあります。

しかしながら令和48月に、私の代理申請は却下されて従来通りの時間しか出しませんという決定が出たと。

千葉県知事に、行政不服審査を申し立て、そして10月に千葉地裁に提訴をしました。

その結果、翌年令和5年の5月に千葉地裁は、121時間21時間半の介護ヘルパーをつけなさいという仮の義務付け決定を出しました。

その後ですね、市の方は松戸市ですが、月696時間、すなわち22時間半の決定を出すようにはなりました。

これ見てわかるように、もう仮の義務付け決定より一時間、決定を裁判中にしてきたと。

たださっきの和歌山の事件とありますように、仮の事件と、本案の本訴訟っていうのは、一応違う話ですので、本案訴訟は残ってるわけですよね。

本案訴訟は昨年の1031日に下りていわゆる行政訴訟は原告が勝訴したんですが、損害賠償訴訟、国賠訴訟は棄却されて敗訴になってる、そういう結論ですね。

判決の理由の中の印象的な部分。

裁判官が言ったところ、拾い上げている事実認定ですけれど、妻は、ヘルパーがいない時間を中心に、原告の介護だけではなく、幼い子供の養育、家事全般をにない、しかも生活費を確保するために仕事もしていると、全ての負担が妻に集中している。

そして妻は、介護負担が原因で、精神障害も発症し、椎間板ヘルニアという、身体障害も発症し、片頭痛みたいなものも、患い、指定難病のIgA腎症というものにまで罹患するようになっているという状態だったという。

しかも、原告の痰吸引するそういう介護というのは高い緊張感を伴うものであるので、やはり心身ともに健康な状態でなければ円滑な対応は難しいと。

行政側は13時間ぐらいは、介護できるということを言うわけだけれども、妻が介護疲れで、要するに寝落ちしちゃったらどうなるんだよと命の危険にさらされるんじゃないかとそういう認定してくれてるわけですよね。

そういう考え方に対して裁判長は、その自治体の考え方っていうのは、ちゃんと家族の体の状況、介護負担をちゃんと考慮してないよと。

皮相的な見方、すなわち非常に表面的な見方しかしてないじゃないかと、非常に痛烈な批判をしてるわけですね。

そして結論として、基本的に本件においては、1ヶ月744時間、124時間の重度訪問介護の介護保障支給が認められるべきなんだということを、高らかに宣言をしたという判決なわけですね。

ただしですね、細かに見ていくと、併給問題については、課題が残された判決です。

一つはですね、仮の義務付け決定のときには、時間数がちょっと少なかったですね。

その理由は何かっていうと、訪問入浴、訪問マッサージ、訪問リハビリの時間は法的支援が入ってるからヘルパーいらないじゃないかという考え方で減らされてたんですよね。

ところが、先ほど言ったように、松戸市の方が、さすがにこれはもう無理筋だということで、訪問入浴、訪問マッサージ、訪問リハビリについてはちゃんとヘルパー入れますよ、決定を、この本案判決の前に、もう自らしちゃったんですよね。

である以上、当然本案判決では、ここについては、仮処分のときは駄目だったんですけど、本案判決で乗り越えて、そこはヘルパーを入れろっていう決定になったんですよ。

ただ最後どうしてもこの判決の限界として、基本的に訪問看護ですよね。

1日平均、看護師さんがいる時間、ここについてはヘルパーいらないだろうという判断をされてしまったっていうのは、これは私からすると間違っているということです。

その論点また話すと、長々なっちゃうんで、ちょっとそこは省きます。

今日のですね、シンポでぜひお話したかったのが、まだここら辺は、「賃金と社会保障」とかにも載っていない話ですので、まだ対外的に1回ぐらいしか話をしたことがないんですが、判決後の後日談なんですね。

令和6年に5月に呼吸困難で、まだ気管切開されてなかった方だったんですが、判決後の今年5月気管切開をしました。

そして7月上旬に退院したんですが、退院前に病院まで松戸市の担当者、担当者はやっぱりこの判決に伴ってですね、一変してメンバーもチェンジをして、人が変わっただけじゃなくって姿勢が180度変わって、寄り添う姿勢になったと感じるというのは当事者ご家族の今の感想です。

736時間限りなく24時間に近い重度訪問介護の決定がなされました。

しかもですね、11月以降、更なる時間増を検討しましょうと言ってくれている状況だというお話です。

奥様の感想ですけれども、やっぱり24時間介護の状況になって、ずいぶん精神的に楽になり、子供がイライラしていた状態だったんだなっていうことに気づいたと、それがすごく子供の笑顔が良くなったと。

つまり、今思えば、そういう介護やいろんなことで追い詰められて、お母さんの精神状態が悪くって、それが子供に連動して、子供もすごく不安定だったと。

いうことが、24時間介護の安心した生活になって初めて身にしみてわかったと、今はすっかり家族みんな安心して暮らせるようになったというお話が非常に印象的でした。

ただ旦那さんは気管切開で声を失って、その点の精神的なショックはありますと。

今はコミュニケーション方法がなかなか視線入力でうまくいかないので、他の方法なども支援者とともに、試している状態ですと、そんな話でした。

すなわちですね、当初は非常に冷酷な対応をしていた自治体、障害福祉の担当者も、この判決によって、厳しい批判を受けたことによって、考え方、姿勢が変わって、やっぱり、当事者ご家族に、寄り添うのは、本来の自治体障害福祉の役割じゃないかという見直しをされたのか、態度が、相当姿勢が変わったというのは、この後日談ということになります。

まとめますが、法律により介護の給付が義務付けられている。

それは義務を持ってるのは公権力ですね、国や自治体。

なんだけど、今は家族に介護労働させれば、その公的介護給付はもう引いちゃっていいんだという安易な運用がまかり通っているわけですが、このアンケートはそれが誤りであるということを示した判例ですのでこの判例が、誤った行政庁の運用を正して全国で同様の事案で苦しむ人々を救済することを期待したいということで私の報告とさせていただきます。

ではコメンテーターの佐々木さん顔出していただいて、佐々木さん今の私の報告を聞いて何かお感じになったこと感想でもいいんですが、何か一言いただければと思います。

 

(佐々木)はい、ありがとうございます。

結構奥様の壮絶な介護と、それから家計家庭の両立っていう状況をどう支えるかっていうところで

本当に自治体の最初のシビアな判断というのが、藤岡さんのプレゼンを聞いていて、本当に切なくなりました。

在宅の現場でやはり介護力の限界があるので、どうしても自宅で見れないという方はすごく多いんですよね。

最近は様々な公的ではない民間の受け皿も増えてきているんですけれども、どこもやはり本人にとっては最善の選択ではありませんし、やはりどういう人生を生きたいというのは、人権というか本人の権利だと思いますけれども、ケアの環境によって、そういった権利の行使ができない状況は、この方の場合は、藤岡さんに繋がってよかったのかもしれませんが、場合によっては途中で諦めて、入院したり、気管切開をせずにそのまま死を選んだりというようなことも起こるんですね。

環境によってその人の生き方が選択が制限されるというのは、これは何としても避けたいところですしこういったところで、いちいち訴訟しなくても、こういった給付がきちんと行われるというのを日本のスタンダードにしていけるといいなと思いながらお聞きしていました。

 

(藤岡)コメントありがとうございました。

では一旦私の報告のパートから、次は採澤さんから、吉川市の事件の報告をしてもらおうと思いますので、とりあえず採澤さん顔を出していただいて。

いきなり画面共有ですか。

わかりました。

もうお渡ししましょう。

よろしくお願いします。

 

(採澤)採澤です。

今日は私からは、吉川市の訴訟についての報告をさせていただきます。

画面共有をいたします。

私からは、埼玉県の自治体の重度訪問介護の支給決定に関する訴訟なんですけれども、大きく二つの観点があります。

一つは先ほど、藤岡さんからも報告があったように、重度訪問介護の支給決定そのものの違法性に関するテーマが一つ。

それからもう一つが重度訪問介護の支給決定手続きのプロセスの中で、その自治体の職員が、これって時間稼ぎですか?という

暴言をそのご本人に対してはいたというところの違法性を問うたというテーマが一つです。

その二つの観点からお話をしていきたいと思っていますが、こちらの件は今年の5月の8日に判決が出ました。

簡単に言うと重度訪問介護の支給決定はご本人の生活にとって少ないものであって、違法であるということを認めました。

かつですね、その少ない支給決定をしたことについては、賠償も命じられたという点でも、これは非常に画期的な判決でした。

加えて、そのこれって時間稼ぎですか?という職員の暴言についても、賠償責任が認められました。

この訴訟の判決に関しましてはですね、新聞でも報道がされまして、賠償命令が下されたということ。

それから、暴言がですね、軽率な執務態度であると非難されたということが、報道されまして、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

先ほど松戸のALS訴訟の中ではですね、その判決が出た後に、松戸市の職員が、寄り添うような姿勢になったと、態度が変わったというふうなお話がありましたけれども、この自治体、今回の自治体についてはですね、判決が出た後もなお戦う姿勢を見せまして、判決不服であるとして、控訴を申し立てましたので、今控訴審が継続しております。

なのでこの埼玉の地裁の判決が確定しているわけではないんですけれども、意義ある判決だと思うので今回レポート報告をさせていただきたいと思っています。

まず時間稼ぎですかっていう発言がどういう文脈で出てきたのかというところから、ご説明したいと思いますが、これはかなりその役所のですね。

ファイルを象徴するような発言なので、ちょっと強調してお伝えしたいと思ってるんですけどでも、あの皆さんそもそも時間稼ぎですかって責められたことありますかね。

私はあんまりないんですけど、例えば時間稼ぎって言われる場面って、どういうときかなって思ってみると、例えばサッカーの観戦をしてるときとかにですねもうリードしているチームがですね、最後の何分間かちょっとそれこそ時間稼ぎするためにちょっとパス回しを長めにしてみたりとかですね、そういうちょっと時間稼ぎすんなよみたいな、野次が飛ぶと思うんですけど、そういうときなんか時間稼ぎって言われますよね。

これは結局、スポーツマンシップに反するフェアプレーではないという意味での批判だと思います。

あとは例えば国会でのですね、議決投票するときにですね、反対側がわざとですね、ゆっくりと投票しにいく、いわゆる牛歩戦術というやつもありますけれど、これも議事を妨害する行為として非難されるようなときもあるかと思います。

このようにですねその時間稼ぎだ、時間稼ぎじゃないですかっていうのは、フェアプレーじゃないですよねとか。

これって何か妨害ですよね、というふうな非難の言葉というふうには受け止められるものだと思います。

これが実はですね、ご本人が文字盤でコミュニケーション、とったことについて、これが時間稼ぎじゃないですか?っていうふうに言われたんですね。

つまりこれ妨害なんじゃないですか?って言われたのと一緒だと思いますけれども、なぜその文字盤でのコミュニケーションをしたかというとご本人は気管切開をしていてと声を発することができないので文字盤でのコミュニケーションというのが、ほぼ唯一のスムーズなコミュニケーション方法だったわけなんですけれども、そのコミュニケーションを取ろうとしたところ、妨害であるというふうな非難を受けたということです。

誰が言ったのか、これは先ほど申し上げた通り自治体の職員が、しかもその障害福祉課の職員が放った言葉なんです。

当然その障害福祉課の職員としてはALSという病気についても知っているわけでしょうし、知っておくべき立場にありますし、そういう気管切開をした方については文字盤でのコミュニケーションが必須の手段であるということは知っておくべき人だったわけです。

ALSとか文字盤は知らない人だったらまだしも、障害福祉課の職員が放ったということがとても重要です。

それからどういうタイミングで言ったのかと。

そのご本人が何か窓口でいわゆる業務妨害的な行為をしていてですねそれもその中で何かまさにその時間稼ぎ的なことをするために文字盤でコミュニケーションをとったのかというとそうではないです。

勘案事項調査という重度訪問介護の支給決定をするにあたって、ご本人にどれくらいの時間が必要なのか、介護ヘルパーさんの派遣してもらう時間がどれくらい必要なのかというのは、聞き取りをすると、そういうプロセスの中で、ご本人が、文字盤で、ご自分の状態について説明しようとしたところ、これって時間稼ぎですか?という言葉を発したわけです。

ですのでこういった場面も非常に重要です。

つまり、障害福祉課として、文字盤でのコミュニケーションが時間稼ぎと捉えるような、そういう場面ではなかったということです。

役所側の言い分としては、それまでに代理人弁護士との間でやり取りがあり、代理人弁護士がご本人に対して、わざと文字盤でコミュニケーションをさせて、時間稼ぎをさせたんだということを言っているわけですけれど、そういう言い分自体も、あたかも、代理人弁護士がご本人を操っているというか、ご本人の主体性を否定するような言い分ですので、そういう発想自体がおかしいんですけれど。

このように、この自治体の障害福祉課の当時の職員の発想としては、申請者であるとか、その家族を1人の人間として見ていないと受けとめざるを得ない、そういう態度で、終始一貫していたように思います。

さらに、その支給量というのもご本人たちにとっては非常に重要な生活のツールであるにもかかわらず、それを単なる数字としてしか捉えておらず、それをいかにして減らすかということに汲々としていると、そういう様子がうかがえました。

こうしたことから、ご本人たちは実は、十分な介護支給量を得られなかったので、ご本人としては一人暮らしを選択するという決断に至りました。

かつ、婚姻関係が残っている限り、妻が介護を負担させ続けられるのではないかという恐れから、離婚という選択肢を取るというところまで追い込まれてしまいました。

非常に大づかみなところでは、そのような役所の非常に強硬な態度によって、家庭が崩壊してしまったという事案の報告になります。

具体的な時系列をかいつまんでご紹介していきますと、まずご本人は2015年の6月にALSの診断を受けられました。

それまでは会社員としてバリバリ働かれていて、お子さんを5歳、3歳、1歳という3人のお子さんがいらっしゃいました。

2017年に初めて重度訪問介護の受給申請をして、ひと月当たり50時間、1日にして、2時間弱ぐらいですね。

その支給決定が出ていました。

加えて、介護保険のサービスとして訪問介護を受けられていたので、プラス2時間程度あったんですけれど、1日最大45時間程度のヘルパーさんによる介護を受けておられ、それ以外は、ほぼ奥様が対応されていたということです。

2018年には歩行も不可能な状態になってしまったので、奥様としてもなかなかケアが行き届くことができず、精神的にも身体的にもギリギリの状態となったために、20185月に、ご本人たち、連名で、役所に対して12時間から24時間、1日賄えるような重度訪問介護の支給量ください、助けてくださいという要望書を提出しました。

しかし、この後も出てきますけれど、役所としては、その要望への対応をしなかったということになります。

もうしょうがない。

どうしよう、どうしようもないということで、弁護士に委任することを選ばれ、20191月に、弁護士が代理人として申請をしました。

これは、ひと月あたり704時間、744時間というのが満額なんですけれど、そのうち、介護保険の訪問介護を利用することによって、その分は、差し引きするということでひと月あたり704時間の変更申請をしました。

それで、この代理人の申請によって、申請の手続きが進みまして、先ほど申し上げたような勘案事項調査が行われたんですがその中で時間稼ぎですかという発言が出たと。

その勘案事項調査を踏まえて、支給決定が出たんですけれど。

ここに誤記がありますが、ひと月あたり373時間の決定がありました。

これに対して再度の変更申請をしたりしたんですがなかなか上がらず、同じ年の11月には、呼吸困難が進んでしまったので、気管切開をするということになり、そのときに改めて変更申請をしたところ、201912月に413時間という支給決定が出ました。

その後、その審査請求をして、何とか考えを変えてほしいと、役所に求めたんですけれど413時間という決定が維持されました。

ご家族としてはどうしようもないということになり、離婚されて、ご本人だけ自治体を変えて別のところに引っ越しをされ、一人暮らしになって、その市では重度訪問介護765時間の支給決定を得て、124時間のヘルパーさんの介護を受けられるという状態に、ようやくなったということになりました。

その後、訴訟提起をして、先ほど申し上げた、さいたま地方裁判所の判決が出たという経緯になります。

時系列でかなり詳しく述べてきたので、重複する部分もあるかもしれませんが、裁判所の判決の対象となった行為について、改めてご説明して、それについて裁判所がどういうふうに判断したのかというところを説明したいと思います。

まず最初に、代理人弁護士が入る前に、本人たちが出した要望書がありました。

こんなに大変なので、何とか助けてもらいたいと、市長宛、障害福祉課宛に出されたお手紙です。

112時間から24時間増量変更してくださいというお手紙でした。

しかし、これに対して、市は回答書というものを出しました。

回答書の中では、変更申請をするんだったら、申請書と、それを基礎づけるサービス利用計画案を出してよねというだけで、例えば、申請書の書式を交付するであったりとか、あるいは、調査をすぐにでも始めて、どういう状況なのかもっと聞かせてくださいみたいなこともせずに、とにかく申請書を出してくださいと、そういう対応だったわけです。

これは、放置したわけです。

ご本人たちの申請の意思があることは明らかであるにもかかわらず、申請書がないと審査できませんよとでもいうような、非常に冷たい対応をとったわけです。

なのでこれは我々としては、何とか違法性を認めてほしいなと思ったわけなんですが、裁判所は、申請書式を交付しなかったことが、サービスとして不親切という評価はありうるかもしれないが違法とまでは言えないという判断をしました。

しかし、もう心身ともに疲弊したご本人、家族たちが、切なる願いで、こういった書面をしたためて、市長宛にお手紙を出すということまでしたのに、その意をくまずに、何もしなかったというのは単なる不親切で済まされてよいことではないと思っています。

ここで、市が対応してくれていれば、弁護士なんかに依頼する必要はなかったんですよね。

なので本当にここの対応はひどいなと思っているところです。

代理人弁護士が入った後に出た支給決定としては、373時間というものでした。

まず、市の基本的な考え方としては、この人にどれくらいの介護時間が必要なのかということを、まずは算出して、そのうち、そのご家族が支援できる時間はこれぐらいですよねという考え方だったんですけれども、まず、どれぐらい、介護時間が必要なのかというのを算出したところ、合計558時間が必要ですよと市は考えました。

なんか朝2時間とか、昼3時間とか、ブツブツブツブツ足し合わせて558時間になっているんですけど、何でこんな算定の仕方をしたのかというところについて、市が示した理由としては、まず、痰吸引などの介護はないと、夜間人工呼吸器をしているので、介護としては人工呼吸器を夜間に管理すれば足りるということなので、就寝中8時間としています。

現状、褥瘡がなくて就寝時の体位交換をしていないということとか、それから、週3回、各5時間程度は介護者なしで生活しているということで、これって、介護ヘルパーさんを派遣してもらえてないから週35時間1人ぼっちでいなきゃいけないという現状だったわけで、別にそれでいいというわけでは全然ないんですけど、こういった現状のできてない状況で就寝時の体位変換にしても、本来は体位変換するべきなんだけど、介護の手が足りないので体位変換ができていない状況だったに関わらず、そういう現状ができてない状況のもとに558時間で足りますという判断をしました。

これ自体も非常におかしな判断だと思います。

本来的にはこの人にとって本当に必要な介護時間はいくらなのかという観点から考えなきゃいけない。

なのに、今のできてない介護量が足りてない現状を元に判断した。

これ自体おかしいことです。

さらにおかしな話として、家族支援がそのうちどれくらいできるのかというところについては、まず、就寝時、これは結局奥さんなんですけど、18時間、介護できると、市は判断しました。

毎日は難しいよねただ、月の半分15日はできますよねという判断をしました。

なので、合計120時間は奥さんが介護できますよねと。

そういう判断をしたので、先ほどの558時間から約120時間を引いたということになります。

これは結局、毎月半分は奥さんが徹夜して介護してくださいねということになりますけど、こんなの無理だと思いますね。

毎月半分徹夜して何か介護をするという。

しかも、重度身体障害のある方の介護をするなんて、とても大変なことだと思うんですけれど、市としてはそういう判断をしてしまったということです。

こういった不合理な判断に対しては、我々弁護士としても、反論して、もっとちゃんと考えろと、こういう書面で申し入れをしたんですが、結局そこは変わらなかったということになります。

この373時間の介護決定について、裁判所がどういうふうに判断したかといいますと、裁判所も、その当時24時間介護を要する状態にあったとまでは、直ちに認められないということであるとか、それから、介護の負担というのは、相対的に低かった。

このあと気管切開をしますので、気管切開をした後からに比べると相対的に低かったという趣旨なんですけれど、ということで、373時間の支給決定は違法ではないという判断をしました。

ただ、これは本当にひどい判断だと思っていまして、本人の状況とか介護がどれだけ大変なのかというところをきちんと正しく理解していないなと思いましたし、裁判所に対して、いかに理解してもらうのが大変なのかということも痛烈に感じました。

それで、201910月から、ご本人が気管切開をすることを検討し始めました。

それまでも、お医者さんからは、気管切開を薦められていたんですが、先ほどまでの説明にもありましたように、なかなかその介護の手がたりない、支給量が不足していて、介護ヘルパーさんを頼めないということで、なかなか気管切開に踏み出せませんでした。

いよいよギリギリの状態なので、これはしないといけないということで決断をされたわけです。

気管切開をすることによって、介護量が増加することになってしまいます。

一つは、声を出せなくなってしまうので、いっそう、ご本人のそばに付き添ってつきっきりの介護が必要になります。

それから、気管切開をしたら、人工呼吸器を付けるというのを想定されたんですけども。

結局この方は、当初は人工呼吸器をつけなくても、気管切開をしただけで呼吸状態が安定したので、気管切開の穴だけ空いているという状況で過ごされていました。

そうすると、それはそれで気管切開の穴に何かが入ってしまったり、痰が癒着して、ひっついて取れなくなったりすると呼吸困難になって窒息の恐れがありますので、そういったことがないように安全を確保するという必要が生じるようになりました。

それから、痰吸引も必要になりました。

ということで介護料がかなり増加するというか、これまでよりも一層手厚い介護が必要になるということになりましたので、改めて24時間介護が必要になるということを示して変更申請をしました。

まず、気管切開手術をしたときの入院の際に、役所の方から職員を派遣されてきて調査が行われました。

そのときの調査の質問をいろいろされるわけなんですけれども、質問というより、自分たちの考え方の押し付けみたいなふうに捉えられるような発言が職員の方からありました。

例えば、退院されたら、おうちにナースコールをつけることを検討されてないんですか?とか、ご本人、手足の方はほとんど動かない状態なので、そういったスイッチも押せるような状況にはありませんし、スイッチを押せたからといって、結局ヘルパーさんがいないと何もならないんですけど、そんなことを聞いてきたり、あと奥様の生活スケジュールをすごく事細かに聞いてきて、お子さんの習い事の送るのはどれぐらいかかるのですか。

学校から帰ってきてどう過ごされてるんですかと、あたかも奥さんの空き時間をどこかないかどこかないかと探るような質問ばかりをされる。

それからこの吹き出しのところにもありますけど、私がもし同じような介護をしてもらわなきゃいけない立場にあったら、やっぱり家族にやってもらいたいかなと思うんだけれども…っていう発言も職員がしたんです。

これは結局、他人であるヘルパーさんよりも家族にしてもらった方がいいんじゃない?と本人に促すという。

私から見れば家族介護の押し付けだと捉えたんですけども、そういうふうな調査内容でした。

我々としてはそういう職員の発言があったので、ちょっとこれはまずいなと。

きちんと役所として考えてもらわなきゃならないと思ったので、入院時の聞き取り内容をきちんと書面にして提出をしました。

例えば奥様がもういっぱいいっぱいなんですとか、介護殺人とかあるよなと思っちゃう自分もいて本当に自分だってそうかもしれないと本当にもう精神的に追い詰められた状態にあることがわかる発言をされていましたので、奥さんが介護するなんて言語道断なんですという旨の書面を提出したりしました。

退院後の自宅訪問調査のときも、この役所の職員は、相も変わらず同じような趣旨のやり取りをしてきましてやっぱりナースコールを導入しないんですか?とか、ご本人も、両親が介護できないんですか?とか、あと、例えば奥様が銀行で、いろいろ入金をしたり送金しなきゃいけないとかそういう話をしたときに、それってATMでできないんですか?とか、とにかく空いた時間がないかを探そうとするという、そういう姿勢が見受けられましたし、それから、奥様が深夜2時に寝る前の最後の痰吸引をして奥さんが寝てしまった、普通に寝ますよね深夜2時って。

しかもその次、お子さんの関係で6時に起きなきゃいけないので、そういった現状をお話したところ、職員が2時に本人を置いて寝ちゃうんですか?という、そういう趣旨の発言をしたんです。

本当にこの人たち理解していないなと思いました。

これは本当に危ないなと思いましたので、改めて訪問時に、いかに奥様が大変な状況にあるか、ご本人も、そういった、本当に窒息とか危険と隣り合わせの生活にあるということを伝える書面を提出しました。

奥様の発言としては、これ以上、夫のことを嫌いになりたくないと、子供たちにも嫌な空気を感じさせたくないとか、追い詰められた状況にあるということがわかる発言をされていました。

そういうことを伝えようとしました。

こういった調査を受けて、201912月に支給決定がでました。

まず、市としては124時間常時介護は必要であるということは認めました。

ただ、奥さんが介護可能な時間数というのを算定したわけです。

まず、寝ている間は大変だから、介護しないことを前提とします。

しかしながら平日の日中は8時間から9時間。

休日の日中11時間は介護ができますよねという判断をしました。

先ほどの373時間の時には、大体120時間の介護を奥さんができますよねっていう話だったのが、なんと2倍以上の時間、奥さんが介護しなきゃいけないということが前提になって、ちょっととても考えられないような判断をしました。

その中の理由としては、例えばお子さんの習い事に付き添って行っているんですっていう話があったんですけれど、、それは1人で行かせればいいじゃないかとか、お子さんが寝た後の夜10時から深夜12時までの間は介護できますよねとか、ちょっと信じられないような理由が示されました。

こういった支給決定について裁判所がどういうふうに判断したかっていうと、まず、先ほどの松戸のALSの訴訟とは異なり、奥さんについて2時間から3時間程度の介護は可能であったであろうということの判断がまずあったんですけど、その判断の前提として、民法752条という条文がありましてそこでは、夫婦はお互いに協力し合って生活しましょうねということを定めているんですけど、そういった条文を理由に、配偶者が介護可能な時間を考慮して支給決定することは許されるという判断をしました。

この民法752条は、夫婦の間でそれぞれお互いに助け合いましょうということを定めているにすぎないので、役所がそれを理由に、ご家族の支援可能な時間を勝手に判断するっていうことまでは絶対にあり得ないと思うので、非常に問題のある判断ではあると思うんですが、そういう判断がされてしまいました。

とはいえやはり、市が決めつけた毎日11時間とか9時間とか、ご家族が介護できるという判断は、過度に差し引いたものであって、違法であるということは、結論づけてくれました。

605. 5時間を下回らない範囲で支給決定をせよという義務付けの判決もしました。

さらに、支給決定が違法であるということにとどまらず、賠償責任も認めてくれました。

これは我々介護保障ネットが把握する限り、介護支給量の決定に関して賠償責任が認められたっていうのは初めての事案です。

どういう理由で賠償責任が認められたかというと、まず、代理人弁護士の方から複数回にわたって支給量の決定にあたっては慎重に、ご家族の状況も勘案して、してねと伝えてきましたよねということであるとか、3人のお子さんを育てるということだけでも大変な負担であるということは一般常識ですよねということであるとか、また、同居のご家族がいても、700時間超の支給量が認められた事例は他の地方公共団体でもありますよねと。

それを市が調査することだって出来ましたよねとか、あと先ほど申し上げたように、ご家族の介護可能な時間というのが、介護量は大きくなっているにもかかわらず、倍以上時間が差し引かれているのは、おかしいですよねと判断してくれました。

最初に申し上げた、時間稼ぎですか?という発言についての裁判所の判断としては、非常に痛烈に批判をしてくれました。

重大な落ち度のあるあまりにも軽率な執務態度によるものであったと評価されてもやむを得ない、強度の誹謗中傷的な発言であったと断罪してくれました。

先ほども申し上げたように、これはまだ確定した判決ではありませんので、控訴審でもしっかりとこの違法性を維持してもらえるような判決を出してもらわないといけないと思っているわけですけども、ひとまずの第1審判決の報告としては以上です。

ありがとうございました。

 

(藤岡)採澤さんお疲れ様です。

では佐々木先生、お顔を出していただいて、今の…、佐々木さん、いらっしゃらないかな。

今の事案報告について一言、何かコメントをいただければと思います。

 

(佐々木)ありがとうございます。

お話を聞いてて思ったのは、障害福祉課という、障害を持った当事者の方々とそのご家族に対する行政の窓口が、いかにも障害に対する不理解とか、あるいは在宅ケアの実情についての不理解とか、そういう状況はひどいと思いました。

本来であれば、やっぱり対人援助の専門職がこういった意思決定にきちんと関わって、普通の頭で考えれば、奥さんの介護は24時間刻みで、しかも失敗が許されない形で提供していくっていうのは持続可能であるわけがないし、そもそも奥さんの健康に大きな悪影響を及ぼしますし、そもそも例えばこれ、もし外部から仕事で入るとなると、自分は仕事をして子育てして家のことをやって、挙句の果て残りの時間全部病人の介護って、これってどう考えたって許されないシフトですよね。

これがその行政の場で当たり前の判断で行われているといういうのは、これがしかもまかり通っているのが、しかもこれ正常化するために弁護士さんを立てて裁判までしなきゃいけないっていうのは、これは異常事態と思うんですね。

その障害福祉課というところ、私も、いろんな行政の方々とお話するんですけれども、介護福祉課とか介護保険課とか地域医療課とか、実は行政って担当者がくるくる年次で変わっていて、あまりその領域のことをよく知らない方が関わられたりというようなこともあって、本当にいい人がいるとすいすい進むんですけれども、本当に微妙な人が来ると、背景要因から全部説明して、他の人にも出てきてもらってみたいなこともあるので、ただそれだと、私達専門職はまだいいんですけれども、患者さんやご家族、障害当事者の方々はそれはたまったもんじゃないと思うんですよね。

だから親ガチャという言葉もありますけれども、担当者ガチャみたいなものも、自治体ガチャというのも起こっている状況はちょっと問題だと思うので、最低でもこうやって判例が積み重ねている中で、最低でもこういうときにはこういうふうに考えるんだみたいな、障害福祉の特に給付量の計算の仕方とか、このあたりは少しスタンダードを定めていただく。

バリアントが生じた時とか、それがうまくいかないときに訴訟が起こるのはしょうがないかもしれませんけれども、ちょっと聞いていて痛々しくて、つらいなと、聞いている方がつらい気がいたしました。

ありがとうございます。

 

(藤岡)佐々木さんありがとうございました。

時間もあれですので、採澤さんの報告以上で、引き続き下山さんの報告をお願いしたいと思います。

下山さんよろしくお願いします。

 

(下山)私は介護保障ネットの会員で、弁護士の下山順と申します。

私からは、124時間の重度訪問介護を市に訴訟を提起したところ、匿名掲示板において非常に多くの誹謗中傷を受けたと、こういう事例について報告させていただきます。

私はちょっと、持病で咳があって、聞き苦しいところもあるかもしれませんが、その点はご容赦いただければと思います。

資料の方、共有させていただきます。

この事例では、先ほどの述べました通り重度訪問介護124時間の重度訪問介護を求めて市に訴訟を提起したところ、匿名掲示板で700を超える投稿が、12日の間にありまして、その多くは誹謗中傷であったということが起きました。

そこで数多くの投稿のうち、特にひどい11の投稿について、発信者情報開示を行いました。

このうちの4件に関しては、裁判外で示談解決し、訴訟で解決できなかった4件分について、プロバイダについて発信者情報開示を行い、このうち個人名を特定した2件について損害賠償を請求訴訟をしたということになります。

ここで今、共有しております新聞記事は、2件の損害賠償請求訴訟のうちの、先行する1件の判決の記事で、「殺処分でいいやん」という誹謗中傷がありまして、この誹謗中傷について短文かつ1回でも96万円の賠償金になるということを認めた判決を紹介したものになります。

誹謗中傷を受けるに至った経緯について説明いたしますと、私は、令和3年に、脊椎骨端異形成症という重度障害を有する方、ここではAさんといいますが、Aさんから、自立生活支援の依頼を受けました。

この病気は、骨系統の疾患骨が十分に成長しなかったりして関節が変形したりするなどの疾患です。

Aさんは10代でこの病気を発症しましたが、40代まで、障害福祉サービスを一切受けず、幼少期からお母さんと2人で生活をしていました。

お母さんの介護を受けて生活をしていたということになります。

ところがお母さんが令和3年にがんで入院したため、在宅の生活が困難となり、短期入所となってしまいました。

しかし、施設外で生活をしたい、在宅で生活をしたいという思いから、所沢市内の支援団体に相談したところ、その支援団体によって、群馬から所沢市内に引っ越して、所沢市内のグループホームに入居できるようになった。

こうして、所沢市内のグループホームでの生活が始まるわけですが、Aさんとしてはやはり故郷である群馬県で1人暮らしをしたいという思いが強くありました。

そこでですね、支援団体を通じて私がそのAさんとお会いして、前橋市重度訪問介護の交渉の依頼を引き受けたという、こういう経過になります。

私が依頼を受けたときは、もう既にAさんの手指は、重度麻痺で、左手がわずかに動かせる程度でした。

私は引っ越し前に、所沢市にいるときに、前橋市に事前申請をしたわけですが、非常にわずかな支給量しか示されませんでした。

そのため、とりあえず一旦グループホームから所沢市内で一人暮らしを開始しようということで、申請をしたところ、所沢市内では126時間の重度訪問介護が支給決定されると、これぐらい非常に重たい状態だったということなんですね。

その中でやはり、事前申請で一度は失敗していたんですが、やはり群馬に戻ろうということで、令和42月に、月に823時間の重度訪問介護を求め、前橋市に申請すると1日約15時間程度の支給決定しかされなかった。

しかもその支給決定理由も示されない。

このような状況になったために、非常に対応として悪いという認識で令和4411日に前橋地裁に対して、124時間月744時間の重度訪問介護を求め訴訟提起しました。

この裁判では、地域間でこんなに格差が生じていいのかと、こういうことも裁判であったわけです。

これについて、記者会見等を行って、訴訟提起したことが報道されますと、413日から匿名掲示板において、おびただしいほどの誹謗中傷が行われました。

ここで言葉にするのも躊躇される罵詈雑言ですが、説明いたしますと、先ほど申し上げたような殺処分でいいとか、安楽死でいい、生かしておく理由がない、親が悪い、なんで殺しておかなかったんだろう。

こういうゴミを秘密裏で処分する仕事があればつきたいというこういうひどい言葉があり中には、植松の虐殺は最高だったなどと、津久井やまゆり園の植松死刑囚を支持するような投稿も複数ありました。

Aさんは記者会見後、どういう報道があるのかなということでいろいろ調べている中でこういう投稿を偶然発見してしまっていまして、私に対しても、ひどく、やつれた様子で、そんなに私に死んでほしいのか。

と漏らしたこともありました。

こうしたAさんの思いが、これは放置した場合に、他の方が自立生活を求めて124時間訴訟を提起すると、非常に怖い、萎縮効果が生じるのではないかという懸念もありまして、こういった問題は決して放置してはいけないということで、Aさんと支援団体と、相談して、発信者情報開示を行うことになりました。

あっていませんでしたが、発信者情報開示手続きは、まず匿名掲示板の運営会社に対する発信者情報開示請求の仮処分を行い、11件分のIPアドレスについて、開示を受けました。

先ほど申し上げた通り、4件の投稿者と裁判外で示談を行い、示談で解決しなかった4件について、プロバイダに対する発信者情報開示を行いました。

その結果、個人名を特定した2件について、損害賠償請求を提起したということになります。

まず一つ目の先行する判決ですが先ほどの記事で紹介した通りですけれども、前橋地裁、令和5128日、判決は「殺処分でいいやん」という投稿について原告の生命を著しく軽視するもの。

極めて不当な表現で原告の人格を否定した誹謗中傷と厳しくコメントを非難し、短文かつ1回でも60万の慰謝料が生じることを認めました。

そして調査費用とあわせて投稿者に対して96万円の賠償を命じました。

この6096万という数字は、それでも低いと思われる方も多くいらっしゃるかと思うんですが、この侮辱表現による慰謝料相場は、1万から20万程度が相場と言われていて、かなり低いものでしたので、こうした水準からしますと、画期的な判決ということもできました。

またですね。

ちょっとこの辺りは省略させていただいて、次に令和6124日の前橋地裁判決については、生かしておく理由がないな、ひと思いに殺してやれよという投稿について判断しましたが、この投稿について原告の生存する意義および人格的利益を否定するものであり、障害者を差別するヘイトスピーチであると明確にのべてこの投稿を非難しまして、やはり短文1回であっても、50万と。

基本的に短文であるとか1回であるというのは、慰謝料を下げる要素になるんですが、そういうことがあっても、50万の慰謝料があると認めたわけです。

おそらく障害者を差別するヘイトスピーチと明確に判断した判決は、この判決が初めてなのではないかと思われましてその点で先駆的な意義があると言えます。

やはりこういうヘイトスピーチは短文1回でも、発言すれば社会的に許されない、非常に大きな民事責任が生じるということを明らかにした点に意義があるといえます。

今回の民事裁判を通じて障害者に対するヘイトスピーチを行うと、先ほど述べた通り、短文1回でも非常に厳しい民事責任が問われるということが明確となったということには、意義があると言えると思いますが、ただ我が国の法制度を見ますと、ヘイトスピーチに対する規制は不十分と言わざるを得ない状況があります。

ヘイトスピーチの定義につきましては、様々なものがありますが、例えば一例を挙げますと、人種、出身国、民族、性別、性的指向、宗教、障害など自ら主体的に変更することが困難な事柄に基づいて、個人または集団を攻撃、脅迫、侮辱し、もしくは他人を扇動する言論などと定義されることがあります。

この過去の我々の歴史を振り返っても、レイシズム、優生思想、女性蔑視など、偏見によって様々な人権侵害人種差別があったと思います。

我が国でも、平成8年ごくごく最近まで法律で、障害を有する方に対する強制不妊手術が定められていました。

こうした偏見は残念ながら成果主義、能力主義という名のもとで、現在も根強く残っていると思われます。

平成307月にはある国会議員が同性カップルを念頭に、彼ら彼女らは子供を作らない、つまり生産性がない。

そこに、税金を投入することが果たしていいのかどうかと、こういうことを主張して話題になったこともありました。

我が国には、ヘイトスピーチやヘイトクライムを特に規制する法律はありませんが、アメリカでは、例えばですが、ヘイトクライム防止法というものがありまして、人種、肌の色、宗教または国民的起源、性別、性的指向、性的自認、障害を理由として、故意に人の身体を傷害する行為をヘイトクライムとして厳しく処罰しているということがあります。

それで、その他にも、ヘイトクライム統計法というものがあります。

ヘイトスピーチヘイトクライムによる犯罪統計がデータ化されていて、発生件数が可視化されています。

この他、イギリス、ドイツ、フランスなどでも一定の範囲でヘイトスピーチが処罰されています。

アフリカ諸国、アジア太平洋諸国、南北アメリカ大陸、南北アメリカ諸国でもヘイトスピーチを規制する国は多くありまして、一部の論者によればですが、ヘイトスピーチ規制は世界の常識と言われることもあります。

我が国では、ヘイトスピーチ解消法という法律がありますけれどもこの法律で解消すべき対象とされているのは、あくまで、本邦外出身者に対する不当な差別的言動ののみです。

特に障害者に対するヘイトスピーチは含まれません。

ただ、我が国においても、レイシズム、優生思想などの偏見に基づく人権侵害は数多くあったはずで、ありまして、やはり私としては、ヘイトスピーチやヘイトクライムを規制する法律は必要であると思います。

同時に、差別というのは、多くは無意識に行われるものであるため、私達自身も、偏見にとらわれていないか、不合理な線引きをしていないか、絶えず検証する必要があると思います。

障害を有する方の自立支援を阻むものとしては、本件でもそうであった通り、行政の不理解支給量の地域間格差があると思いますが、同時に私達の社会に潜む生産性のないものには税金を投じるべきではないという偏見もあると思います。

今回の誹謗中傷の問題は、匿名掲示板という非常に狭い社会の特殊な現象であるとは矮小化できないと思っています。

ヘイトスピーチ解消のために、私達としてはどのように考えて行動をしていったらよいのかについて、考えを深めていく必要があると考えています。

私からの報告は、以上です。

 

(藤岡)佐々木さんありがとうございました。

下山様ありがとうございます。

佐々木さんお願いします。

ごめんなさい、間違えました、下山さんありがとうございました。

1パートが実は355分までの枠なもので本当わずかになってしまったんですが、佐々木さん今の下山さんのご報告についてコメントをお願いします。

 

(佐々木)ありがとうございます。

そうですね、私も匿名掲示板で情報を発信することもありますし、そこを見ることもありますけど、本当に痛々しい発言を目にすることはままあります。

やっぱりそういうときに、なんですかね、当事者意識を持たない方々は、ちょっと、当事者でないと見えない世界があって、そこの部分をなんですかね、みんなも理解してほしいなというのが一つと、あと、ヘイトスピーチをする側も、やはりどこかでもしかすると社会の中で不条理を感じていて、その糸口をより弱い人たちにぶつけようとしているという側面もあるのかなと思ったりもしています。

社会全体の寛容さとか、あるいは、弱い人たちに対する考え方ですかね。

特に昨今は、社会保障負担が非常に重たいということで特に高齢者医療に対しては、若者から高齢者が搾取しているみたいな言い方をすることもありますけれど、その社会保障費を使うことが悪ということではなくて、誰もが不安なく、幸せに生きられる社会が実はあなたにとっても居心地のよい社会なんだと、本来の前提条件をきちんと共有するというところも、すごく大事なのかなと思いました。

私達もコロナ禍でコロナに対する偏見から、我々自身が誹謗中傷のターゲットになったこともあって一部のお医者さんたちは誤った情報を発信している人たちに対して、結構積極的に訴訟をしたりしているんですけど、蓋を開けてみると実はそういった方々も持病があって生活保護で非常に厳しい状況で、みたいな方も結構おられたみたいで。

なので、なんですかね、お互いに相手の足を引っ張り合うみたいなことではなく、お互いに支え合うみたいなところにちょっと社会全体のメンタリティがいくといいんだろうなと思います。

 

(藤岡)ありがとうございました。

時間もあれなので、採澤さんも顔を出して、佐々木さんも残っていただいて、第1部のエンディングになりますので、本当はもっといろんなことを話をしたかったし、掘り下げたかったんですが、時間もあれですので、一つだけなんですけど、佐々木さん、在宅医療カレッジという、いろんな活動をされていますし、著作で、12種類ぐらいの多職種の方々それぞれの実践報告の本を、私、非常に感銘を受けて、読んでいるんですけど、我々、弁護士法律家の努力不足もあって、我々もそういう患者さん、障害者の在宅医療を支える専門職の1人のつもりでやってきたつもりなんですが、今まであんまりそういう接点がなかったので、そこには、法律家は登場していないのですが、今日のシンポジウム等をきっかけに、我々もそういう法律家も、仲間に入れていただけますでしょうか?(佐々木)ありがとうございます。

医療の現場は、倫理的に問題があるとか、人権侵害ではないか、みたいな状況は実は結構横行していて、特に、病気になったり障害を負ったり、あるいは経済的な条件が悪化したりすると、それによって、その人生の選択肢が制限されたり、あるいは第三者によって管理されたりみたいなことが起こります。

ここの部分は実は、ブラックボックスというか、まだ問題にはなってないんですけど、例えば、ALSとか難病の方が生きる権利を求めて立ち上がるみたいな形でようやく日の目をちょっと見ますが、ただ多くの在宅の患者さんたちは本当はそうじゃない、本当はこんなことしたくない、これは自分の人生なのになんでこんなことになっているんだ、みたいな思いとともに生きていますので、患者さんたち全ての患者さんたちが納得して最期まで生活が継続できる納得して医療が選択できる状況を作っていくためにも、やはり医療者側と患者側の双方に、こういった意識の喚起は必要なんだろうと思うんです。

どうしてもお医者さんたち医師に代表されるもう専門職は弱者を保護しなければいけないみたいな観点から患者さんたちの選択を狭めたり、安全管理という名目で、居住場所を制限したりとか、そういったことを当たり前のようにやっているんですけど、これって本当はやっちゃいけないことだと思うんですよね。

なので、この辺り、少し私達も意識を変えていかないといけないと思いますし、患者さんさんたちも思うところをきちんと発信できる環境を作らなければいけないと思いますし、診療の治療の選択に関しては倫理委員会があるんですけど、療養場所の選択とか、生き方の選択に関して、それが信頼されたときに、それを倫理面で審査する機能は医療サイド側にはないんですよね。

なのでそういった部分を、皆さんのような方々にお手伝いいただけると、患者さんにとっても安心して治療を選択できるし、我々も学ぶことを学んでいくことができるんじゃないかと思っています。

 

(藤岡)ありがとうございました。

本当にまだまだいろいろお話をしたい点があるんですが、今日は、キックオフというか出発として、時間もこれぐらいですので、それぞれ報告してくれた。

下山さん採澤さんお疲れ様でした。

何より、外部からお医者さんの立場でコメントをいただいた佐々木さん本当にありがとうございました。

では第1部のパネルディスカッション部分はこれで終了させていただきます。

お疲れ様でした。

では、司会の関口さんにマイクをお戻しします。

 

(司会)以上で第1部を終了いたします。

10分間の休憩を挟んで45分から第2部を再開いたします。

2部では、私達介護保障ネットが支援をして、重度訪問介護の支給量を勝ち取った事例をいくつかご紹介いたします。

引き続き、ぜひご視聴ください。

よろしくお願いいたします。

 

 

 

(司会)

それでは、定刻となりましたので、第2部を開始いたします。

介護保障ネットは2012年に立ち上がり、今年で12周年を迎えます。

まずは、この12年間の歩みを、介護保障ネットの弁護士の長岡よりご報告いたします。

その後、事例のご紹介をさせていただきます。

それでは、長岡さんよろしくお願いいたします。

 

(長岡)はい、ご紹介いただきました介護保障ネット弁護士の長岡と申します。

それでは私の方から、介護保障ネット12年間の歩みということでご報告をさせていただきます。

12年間を一言で言うのもなかなか難しいんですけれども、我々がどういうことを目指して活動してきたかということをお話できたらと考えております。

その後最近の事例報告をいたしますので、そういう大きな目指す方向性というところを私の方でお話しさせていただきます。

介護保障とは、ということで、我々がどういうことを目指しているのか、これは障害のある人が自分が住みたい地域で自分らしい生活を送るために必要な介護を十分に受けられるように確保する活動と、いうふうに考えています。

障害のある人の住む場所は、施設とか親元、病院ということに限定されていることが多いですけれども、そういうことではなく、地域で自立した、自分らしい生活を送る。

地域で一人暮らしとか、施設ではなくそういう地域社会の中で生活をするという選択肢があることが大切です。

そのためには食事、排泄、水分補給、寝返りなど、様々な場面で介護が必要になります。

生きるために必要不可欠な介護、つまりヘルパー時間数、支給量、これを公的に国や自治体に認めてもらう、そのための活動ということになります。

日本の場合は、障害者総合支援法によって、必要なヘルパー時間数を認めてもらうということになります。

そのために活動をしているということになります。

この公的介護を受ける権利というのは、障害者総合支援法で定められていると申し上げたんですけれども、単に法律、障害者総合支援法というだけではなくって、このピラミッドというかですね、憲法、障害者権利条約、障害者基本法、これらの憲法や、条約、法律によって認められる人権だということです。

今日のこれまでの報告の中でも、人権だと、障害者が地域社会において、障害のない人と平等に、自己の選択に基づいて生活をする、こういう権利が人権だということが語られてきております。

憲法では、自己決定権、平等権、居住・移転の自由、生存権というようなことがあります。

障害の有無に関わらず、どこでどういう生活を送るかっていうのを自分で選択し決定することができると。

健康で文化的な生活を送ることができると、こういうことが憲法で定められております。

これを障害者の分野でいくと、障害者の権利条約、さらに国内では、この障害者権利条約を日本でも実現するためのものとして、障害者基本法というものがありますこれら憲法とか条約基本法によって定められた考え方を、総合支援法がより具体化していると、こういう構造になります。

障害者権利条約19条では、全ての障害者が他の者と平等の選択の機会を持って地域社会で生活する平等の権利を有することを認めると、こういうことが定められております。

その上で、国が障害者の権利を守るために必要な措置をとるべきと明言をしていると。

日本国政府もこの権利条約を守っていきますということで、批准をしているということになりますので、私達もこういうこと、こういう条約の定めを頭に置いて、活動をしていくということになります。

障害者総合支援法なんですけれども、この法律の1条とか1条の2、法律の最初に目的とか基本理念というものが定められております。

一人ひとりに対する個々の支給決定というのも、この法律の目的に沿ってやらないといけないと法律の趣旨目的を理解しないと、個々の処分がおかしなことになるというのは、前半の裁判になった事例を見てもわかるところだと思います。

法律の趣旨目的というのは本当にとても大事だと思うので、ここで確認をしておきますと、障害者総合支援法の1条には、障害者および障害児が基本的人権を享有する個人としての尊厳にふさわしい、日常生活または社会生活を営むことができる。

これが目的として定められております。

障害者総合支援法は、2012年に改正されてまして、それ以前は障害者自立支援法という名称でした。

自立支援法の1条には、自立した日常生活または社会生活と定められていたところが、これ法改正によって、基本的人権を享有する個人としての尊厳にふさわしいと、この自立したっていうのがこういうふうに定められております。

自立したというのでも間違いではないんだと思いますけども、ともすれば自分のことは自分でするとかですね、他人に迷惑をかけないとかいうようなふうに誤解されることもあった、そういう言葉かと思いますけども、この自立したってのは要するに基本的人権を享有する個人としての尊厳にふさわしい、そういう生活なんだということを、日本の法律は今謳っているということになろうかと思います。

この個人の尊厳にふさわしいとは言えない、そういう支給決定というのは法律の趣旨に反して違法になると、こういうことになります。

というあたりの、憲法、障害者権利条約、障害者基本法、障害者総合支援法の趣旨目的というところを踏まえてこの一人ひとりに対する介護、支給決定における個別即応の原則というものが導き出されますし、これまでのいろんな裁判例の中でも確認されている考え方ということになります法は障害者の個別勘案事項調査をもとにいかなる支給量を定めるかにつき、各障害者ごとに個別に判断することを求めているものと解するのが相当であると。

この一人ひとりの障害者の事情に応じて個別に判断すると。

124時間必要な人には、24時間の支給決定をしなければならないということですね。

障害者の事情は千差万別であり、介護保障は定型的・抽象的な枠で決めてはならず、個別ニーズに即した必要な支給量が保障されなければならないという原則になります。

例えば国や自治体でヘルパー時間数の上限を決めて、みんなに同じ時間数しか認めないっていうようなことは許されないということになります。

うちの市では112時間までしか認められませんと。

うちの基準では12時間が上限なんですというような考え方は、許されないということになります。

このような個別即応の原則、一人ひとりの個別事情に基づいて決めないといけないという考え方に基づいて、我々弁護士がですね、この介護保障ネットを作る以前、124時間の介護をを求めるという裁判をいくつかやりました。

そのうちの一つとして大阪高裁の20111214日の判決、平成231214日判決というものがあります。

これを少し、口頭になりますがご紹介させていただきます和歌山石田訴訟と呼ばれる、裁判です。

この裁判の原告は生まれつきの脳性麻痺の方でした。

裁判所は原告の脳性麻痺の石田さんの生活を細かく検討してこの原告に必要な介護時間をゼロから積み上げて認定していったということになります。

裁判前は月377時間、112時間ぐらいということだったんですけれども、裁判所、大阪高裁は118時間以上の支給決定を義務付けたということになります。

この裁判で、和歌山市は夜間は本人さんは寝ているから、2時間に1回巡回すればよいと主張していたんですけども、実際にはこの原告の方は、夜間も寝返りとか、トイレ介護のための介護を必要としていると。

それは何時何分に必要になるかというのは、あらかじめわからないので、ヘルパーが泊まり込んで、介護を、必要になった都度行っているということです。

ヘルパーがいないと原告は夜間もトイレもできない。

寝返りもできない。

その結果よく眠れないということになるんですけども、裁判所はそのような原告の事情を、個別に細かく見た上でですね、就寝時間にあたる夜間を通して見守り介護を認めなければ、睡眠時間を確保して体調を維持することが困難になるということで、夜間、ずっと泊まり込みでの介護が必要だという判決になりました。

このような裁判例の考え方を全国に、全国全ての当事者について当てはめることとしたいというようなことでしかし裁判をやるには、この和歌山の裁判も33 4年ぐらいかかったということになりますね。

そうするとですね、全ての事案で裁判するのは大変だということで、裁判例をもとに行政交渉で裁判、判決を武器にして、短期集中で時間数を獲得すると、そのようなことを目指して、20121130日に介護保障ネットが発足しました。

ここは東京の弁護士会館での発足集会の様子を写真にしてあります。

この当ネットでは、全国各地で介護保障を実現すると。

そのために弁護士と支援者、障害当事者、それぞれ知識と力を合わせて行政と交渉をすると。

介護のことは本人さんとか、支援者の方がよく知っていると、法律のことは弁護士が詳しいということで、それぞれ役割分担をしながら得意分野を伸ばすような形でですね、力を合わせてやっております。

当ネットの活動スタイルとして、その審査請求とか裁判ということではなく、交渉段階で弁護士が代理人として、市町村と交渉すると。

申請で、申請一発主義と言ったりしますけども、裁判によらず、審査請求もすごく時間がかかることがあります。

短い時間で速やかに支給量を得るということを目指してやっております。

この申請一発主義の心得として、説得力のある詳しい資料を提出するということになります。

裁判で先ほど3 4年かかったと言いましたけれども、裁判の最終段階で出すような詳しいものを、申請の段階で速やかに出すということで、裁判の時間をかけずに、何年もかけずに早く支給量を得るということのために、詳しい資料を作って出すということをやっております。

個別事情に基づく支給決定ということなので、個別事情はきちんと出して、個別事情はちゃんと証明しないといけないということですね。

なので、ヘルパーの介護状況を日誌にまとめたものとか写真や動画でなかなか文字だけではイメージしてもらいにくいような介護の状況というものを報告書にするということとか、お医者さんの診断書、ヘルパーの陳述書、家族の陳述書、様々な目線から介護の必要性を具体的に明らかにしていくということをしております。

その事実に加えて理論武装ということで、先ほども見てきたような、障害者が介護を受ける権利の根拠、人権なんだということを出していきます。

今日前半からの報告でもいろいろ問題点がありましたけれども、見守り時間ということで、ヘルパーが常に待機をしていて、いつ必要になるかわからない介護に対応するということがとても重要なんですけども、行政の方では、常に何かやってるわけではないでしょということを言ってくるというところがある、そういう常時そばで待機をして見守っていて、必要に応じて介護をするという、そういう介護の必要性ということを訴えるということはよく問題になります。

それから家族介護ですね。

これ松戸とか吉川のケースでもそうでした。

家族への介護強制の不当性ということですね。

あとは介護保険との調整ということで、65歳を超えた障害者とか、40歳以上で介護保険の対象になる方、難病の方とかの支給量のケースでは介護保険との関係が問題となるということがありますので、こういう各論点に関して、きちっと理屈を考えて交渉するということをやっております。

これまでの成果として、全国各地で60名以上の方を支援して、47都道府県全てで24時間の支給決定があるという状況になっております。

ということになります。

というところですね。

最近の傾向ということで、深夜帯における常時介護の必要性という、先ほど述べた和歌山石田訴訟の事案もそうだったんですけど今もやっぱそういう人は多いんですけども、裁判例とか国の通知とか、最近はヘルパーの夜間待機しているヘルパーがボランティアになっては労働法上も問題があるというようなことで、いろんな視点から事例とか、事務連絡とかが積み重なってきているかなと思います。

介護保険と関係のあった事例はすごく多いなという気がします。

あとはあの却下決定の理由付記ということで24時間申請したけど24時間しか認められなかったっていうときに、行政手続き法という法律があって、きちっと却下するには理由を付記しないといけないということがあります。

こういうところをてこに、交渉することがありまして、それは却下の理由を教えてくださいって、その理由を知って納得するわけではないんですけども、ちゃんと行政側が却下しようと思ったら、ちゃんと理由を書かないといけないと思わせると。

そうすると、まともな却下理由も書けないようないい加減な決定をすることはできないという、市町村の不当な決定に対する抑制効果が期待できるのではないかということで、こういう観点から、交渉の中で、この行政手続き法で却下するには理由を書かないといけないということを、意識するようにしております。

資料の52というところで、最近の、最近というか、この12年間での事例をまとめておりますので、これはまた、ゆっくりご覧いただければと思います。

では、私の報告は以上とさせていただきます。

 

(司会)ありがとうございます。

続きましては、介護保障ネットにご依頼のあったケースで、弁護士が関与し、重度訪問介護の支給量に関する活動を行った二つのケースについて、全国各地の弁護士よりご報告いたします。

ここからの進行は、介護保障ネットの弁護士の長岡から行います。

長岡さん、改めましてお願いいたします。

 

(長岡)はい、それでは、事例報告に行きたいと思います。

では、最初の事例報告ということで、金子弁護士、お願いできますでしょうか。

 

(金子)弁護士の金子の方から小平の事例の報告を差し上げたいと思います。

まず金子の方から概要を説明いたしまして、途中からご本人のYさんにお話しいただきたいと思います。

Yさんご本人は申請当時69歳、脳性麻痺による重度の四肢麻痺のある方です。

Yさんは一人暮らしをしたいというご希望がありましたが、ご本人の居住自治体では支給基準により、65歳以上の新規申請者は、原則として重度訪問介護を利用できない運用となっておりました。

今回の交渉では、このYさんの障害に応じてどのような支援が必要か、どうして介護に時間がかかるのか、特に夜間の介護ですね。

この点について丁寧に説明を行いました。

また支援者の方にもご協力いただき、1日のスケジュールの他、宿泊体験の記録や窒息時の対応方法など、Yさんの生活情報を細かく記録いただきました。

また自治体からの質問に対しては、記録や補充説明書を作成してきちんと対応しております。

時系列は見ていただいた通りです。

令和5年の7月から自宅介護の様子を撮影したり、宿泊体験の様子を撮影しております。

1120日に支給量の申請を行い、その後、行政からの求めに応じて追加説明を何回かにわたり行っております。

6月上旬には一旦517時間というところで受給者証が発行されたんですけれども、6月にYさんが一人暮らしを開始し、自治体に再度の事情説明をすることで、訴訟まで至らず、交渉段階で満額の620. 5時間、Yさんの希望通りの支給量決定を出すことができました。

では早速なんですけれども、Yさんの方にお話いただきたいと思います。

Yさん、自己紹介をお願いします。

 

Y)小平で今年の5月から一人暮らしを始めたものです。

障害の特性上、長文の筆談は時間がかかってしまうため、今日は文章を用意してきました。

僕の代わりに高田が読み上げますので、よろしくお願いします。

 

(金子)ありがとうございます。

では早速Yさんに伺っていきたいと思います。

Yさんは一人暮らしをしたいということで、今回の申請に至りましたが、そもそもなぜ一人暮らしをしたいと考えられたのでしょうか。

 

Y)私は小学4年生から中学3年生まで、機能訓練のために、児童施設に入園していましたが、そのときに、集団生活で嫌な思いをした経験がありました。

大人になっても、子供時代の経験が頭にあり、僕は、集団生活をしたいとは思いませんでした。

そういった経験もあり、1人暮らしに興味を持つようになりました。

ただ、母に反対され、グループホームに入居となりました。

数年前に母が亡くなりましたが、テレビで65歳以上の人は一人暮らしができにくくなっているという情報があったので、諦めていました。

その後、僕のこれからの生活について、支援者の方々と話をしたときに、自立生活センター小平の人が、65歳以上になっていても、1人暮らしができるよ、と言われました。

改めて一人暮らしをしたいと考えました。

 

(金子)ありがとうございます。

今回、一人暮らしを始めてということで、スムーズに一人暮らしができるよう、何か準備や練習はされていたんですか?(Y)昔からボランティアを使ったり、制度が出るようになってからは、移動支援を利用していたため、ヘルパーには、元々慣れていました。

ただ、ガイドヘルプは利用していましたが、ヘルパーを使った生活はしていなかったため、2023年から、宿泊体験を10数回行い、自立後、一人暮らし後の生活イメージをつけることができました。

 

(司会)ありがとうございます。

今回、交渉で満額の支給量を獲得できたというところなんですが、この満額の支給量を獲得することができて、一人暮らしの生活はどのように充実したのでしょうか。

もし支給量が不足していたらこういうことはできなかったなという点もあればあわせて教えてください。

 

Y)自分の好きなときに出かけることができる。

自分の好きな食べ物を自分で選ぶことができる。

落としたものを自分で拾おうとすると転倒の危険性があるが、ヘルパーがいることで、いつでも拾ってもらうようになりました。

体調を崩したときには、常に近くにヘルパーがいてくれるので安心して暮らすことができます。

一人暮らしを始めてからも、何度か就寝中に嘔吐がありました。

そのときに近くにヘルパーがいたおかげで、窒息を免れることができました。

支給量が不足していたら、緊急性がある対応に迅速に対応してもらえなかったと思います。

 

(司会)支給量の決定が出て、一人暮らしからだいぶ時間も経ちましたが、今の気持ちや感想を教えていただけますでしょうか。

 

Y)常に誰かがいてくれるため安心して暮らすことができます。

一人暮らしを始めて本当に良かったです。

以上になります。

 

(司会)Yさん、高田さんありがとうございました。

 

(高田)ありがとうございました。

 

(司会)今お話がありましたように、Yさんのほうではコミュニケーションというところになかなか時間がかかったりだとか、あとは夜間に嘔吐、窒息の危険性がある、こういったところを細かい記録をつけたり、文書でも何度も何度も丁寧に説明することで、今回、この行政の方に申請を認めてもらうことができたのかなと思っております。

小平の報告は以上となります。

ありがとうございました。

 

(長岡)Yさん、高田さん、金子弁護士、ありがとうございました。

支給量が無事増えた後の、生活の様子を聞かせてもらえるというのは、関わった弁護士としては、良い生活ができていると嬉しいということになります。

この事例は、申請当時69歳ということで、介護保険との関係も問題となる中で、申請から8ヶ月で申請通りの支給量が得られたということで、きめ細かな行政交渉によって、成果が得られたということでとても良かった、参考になる事例だったと思います。

どうもありがとうございました。

では続きまして、秋田の事例についてご報告ということで、虻川弁護士よろしくお願いします。

 

(虻川)

秋田市で弁護士をしている虻川と申します。

よろしくお願いします。

今日手元の資料の最後の方に、レジュメと新聞記事がついておりますけれども、ご覧いただければと思います。

概要については最初に書いてありますが、ご本人は今日ご参加されていますけれども、脊髄損傷で、胸部から下が麻痺していて、車いすの生活その他、日常生活の行動には全て介護が必要な障害支援区分6の方です。

以前は、実家での家族介護や施設に入所しておりましたけれども、地域での自立生活を希望して、令和4年から、秋田市内のアパートで一人暮らしを始めました。

ご本人は、夜間も含めて24時間介護を求めていたわけですけれども、秋田市の方では、539時間、夜間の支給決定をしないという形の、それしか認めてくれませんでした。

そのため、今年の3月にはまた改めて変更申請をしたわけですけれども、秋田市の審査会の方では、医療による対応が必要だとか、夜間で不安があるのであれば、施設入所が必要であろうというような、自立生活への理解を欠いたような対応をして、24時間介護を認めない決定をしていたわけです。

この間ご本人は、今日ご参加していただいている自立生活センターくらすべAkitaというセンターの支援を受けて、24時間介護を受けていたわけですけれども、夜間帯についてはセンターの方での持ち出しの形でヘルパーを派遣していました。

本人とそのセンターの方では秋田市とずっと交渉を続けていましたが、なかなか進まないということで、介護保障ネットに相談があったということです。

私は実はその後で地元の対応ということで、参加しました。

記載のように6月に入って初めて私と、ご本人や、支援団体とお会いしました。

介護保障ネットの方からは、藤岡さん、長岡さん、坂本さんの支援を受けたところです。

4月に長岡さんが秋田に入っていただいてご本人とお会いして、自宅などを訪問しました。

その上で7月の31日に、また長岡さんが秋田に来ていただいて、秋田市役所の方に出向いて、私と長岡さんご本人、支援センターの方々、それから、取材をこの間続けていただいた地元紙の記者、それから地元のフリーのジャーナリストも、交渉の場に立ち会って取材をしたということになります。

当初、秋田市の障害福祉課の担当者しか対応していなかったんですが、この申請のときには、課長が出てきて、いろいろな、長岡さんやご本人たちの話をそれなりに聞いていたということ。

その際に提出した意見書は、長岡さんが作成された精緻な意見書と、支援センターの方で作成した、夜間も含めて、20分刻みのような詳細な支援記録、介護記録ですね。

それから、先ほど長岡さんからもあったような動画や写真などの介護記録なども提出したところでした。

ほぼ全日に渡るのは、レジメには出ていますが、720日から22日の3日間はほぼ全日に渡っての詳細な記録を出しました。

提出したあと担当者からは、この3日だけではなくて、その前後も含めて1週間分の提出をしてほしいという要望がありましたので、これも提出したというところです。

731日に提出して、その後審査会にかけるというお話でしたが、勘案調査にも立会いたいと話したら、勘案調査は必要なくてこれらの詳細な記録などを全て審査会に出すのでという話でした。

その結果としては、911日に775時間24時間介護の給付を認める決定が出されました。

これについては、この間、失礼。

この決定が出たことについては翌日の地元紙に記事が出ましたし、先ほどの地元のフリージャーナリストのかたのサイトにも掲載されたというところです。

当初、申請意見書を出してから1ヶ月余りで割と短期間に出たわけですけれども、しかし当初はなかなか秋田市の態度は硬くて、場合によれば法的な手続きも含めて検討せざるを得ないのではないかという懸念もあったわけですけれども、割と短期間で決定が、24時間の介護の決定が出たというのは一つは、先ほど言ったいろんな資料、詳細な資料と意見書がありますけれども、もう一つは、今出ていますけれども、これは地元紙の記者が、掲載した社会面のトップの記事で、割と分量も多いですし、ここに写っている写真は、長岡さんが意見書を出しているところですけれども結構大きな形で報道されました。

経緯は必ずしもできていませんけれども、おそらく市役所の担当者、それから審査会の審査委員の方は、当然こういう新聞記事を含めて見ていますので、そういう社会的な関心と、市民の監視を受けているんだということが、それなりのプレッシャーを受けて、変更申請に対する認容という形になったのではないかと思います。

この間、ご本人や、センターの方の取材を受けることについていろいろ懸念なりいろんなご負担もあったと思いますけれどもしていただいてこういう形の記事になったということについてはよかったのではないかと思っています。

私の報告は以上ですが、ご本人とセンターの方も参加されておりますので、お話しいただければと思います。

ご本人。

どうですか。

鷲谷さんも入って宜しいてると思いますけれども、(話者)繋がらないみたいな声だけで。

私は自立生活センターくらすべAkitaの鷲谷と申します。

画面に映っている方が、今回の事例の当事者のHさんです。

Hさんよろしくお願いします。

ちょっと今補足という形で、私が説明して、本人にもちょっと感想を聞きながら進めていきたいと思います。

そもそも秋田県は、中心市街地である秋田市以外は交通の便が悪く、自家用車がないと生活に不便を強いられている県ということで、Hさんも1人で、利便性やかかりつけ医が秋田市ということもあって、本人の意向で、秋田市に住むことを決めましたしかし、市役所からは、なんで秋田市なんですかとか、くらすべさんの事務所があるからですかとか、それとも事業所の売上が欲しいからですかとか、心無いことを言われました。

Hさん、このときどんな気持ちでしたか。

 

H)私が住みたいと思って秋田市に決めたのに、決めただけなのに、自分が決めたことを反対されて、すごく納得できませんでした。

 

(鷲谷)そうだよね。

人は誰でも自由に住む場所を決められているはずなのに、障害があるというだけで、制度を使わなければ生活ができないため、市にお伺いを立てなければならない状況です。

このように、市役所側から全く状況を理解されない状況状態で支給時間に関して市役所とのやり取りが始まりました。

Hさんは当初から24時間を希望していましたが脊髄損傷の24時間介護は秋田市では前例がなく、124時間、月744時間は認められないだろうと考え、118時間。

558時間。

これは毎日入浴を1時間を二人介助とし、深夜の0時から7時の就寝時は介助者を入れない計算で、申請しました。

しかし、市はさらにこの時間を削ろうとしていて、日中サービスや病院リハビリなど本人が望まないサービスを利用するよう提案してきたり、毎日入浴する必要ありますか?といってきたり、しまいにはそんなに不安なら施設に戻ることが望ましいのではないですか?とか言ってくる始末でした。

Hさん、このときどんな気持ちでしたか。

 

H)新しい生活を夢見て、施設から出てきたのに、どうして諦めなければいけないんだろうと。

すごくやるせない気持ちになりました。

 

(鷲谷)わかるわかる、その気持ち。

最終的に申請した月558時間から、2日に1回の入浴しか認められず15時間削減の他、訪問リハビリと訪問看護の使用で4時間削減、合計19時間減らされ、月539時間しか認められませんでした。

しかも、本決定ではなく仮決定の扱いでした。

本当にこの時間が必要か見極めるために資料が欲しいと何度も要求され、そのたびに膨大な資料の提出に応じました。

Hさん、希望した558時間から削られた上に、なかなか正式な決定がされなくて、そのときどんな気持ちでしたか?(H)ただ普通の生活をしたいだけなのに、どうしてお風呂の回数を決められなければいけないの?と思ったし、希望の時間数ももらえなかったのに、これ以上、また削るのかと思ってしまいました。

 

(鷲谷)そうだったよね。

そうしているうちに、ヘルパーが入っていない時間帯に様々なトラブルがありました。

排泄があってもすぐに処理してもらえず、不快な思いをしながら朝まで我慢しなければならなかったり、感覚のないため、体の異変に気付かず、大火傷をしてしまいました。

こんなことがあって、やはり0時から7時の介助者がいない時間帯も常に見守りがないと危険と判断し、124時間月775時間、これは入浴時2人介助で毎日の入浴を希望した物への変更申請をすることに決めました。

Hさん、また24時間になったときにどういう気持ちでしたか、

 

H)やっぱり自分の生活に24時間介助者の見守りが、ないと安全に生活できないと感じたので、交渉しないといけないと思ったものの、また、不本意なことを言われるのではないかと正直不安になりました。

 

(鷲谷)その不安が的中したよね。

そのときね。

そのときどういう気持ちでしたか。

 

H)また言われてしまったなというのと、すごく腹立たしかったです。

 

(鷲谷)主治医の診断書夜間帯の1分単位の介護記録と24時間が必要だという根拠を示す書類を全て追加して臨みましたが、時間数を減らしたい市役所と増やしたい支援者と平行線が続き、何度交渉してもその状況は変わらず困り果てていました。

また、3月に変更申請を出し、07時には緊急的に介助者を派遣していましたが、すぐに結果が出なかったことにより、4月以降は団体の持ち出しで、介護者の派遣を続けなければいけませんでした。

現場の介助者もしだいに疲弊していて、団体資金もどんどん貧窮してきました。

このままでは現場の介助者も倒れてしまう団体の資金もいつか底ついてしまうギリギリの状態でした。

そこで、何とか打開策がないかと検討し、介護保障ネットに相談し、介護団を立ち上げて再度交渉に臨むことにしました。

H さん、このとき弁護団にお願いすることになったときどんな気持ちでしたか。

 

H)心強い味方ができたと思った反面、これで結果が出なかったらどうなるんだろうという不安とプレッシャーを感じました。

 

(鷲谷)自分もHさんと同じで本当に不安でした。

ここからは虻川弁護士の報告した内容と重複しますが、再度交渉するために準備に取りかかりました。

弁護団の皆さんと、会議や面談を重ね、秋田市宛に、受任し書を提出し、地元フリージャーナリストから取材を受けこれまでの交渉に係る個人情報の開示を請求し、より詳細な介護記録を作成し、介助動画も撮影し、弁護団の皆さんに意見書を作成してもらいました。

準備が整い、731日再度交渉に臨みました交渉では今まで一度も交渉に来てくれなかった障害福祉課の課長がメインで対応し、弁護団に介入してもらったたった一度の交渉で、手のひらを返したかのように希望する775時間、これは入浴時2人介助で毎日入浴するということで支給が決定しました。

Hさん?希望する時間数が出て良かったよね。

そのときどんな気持ちでした?(H)これでやっと安心して生活できると思ってほっとしました。

長かった。

希望した時間数が出て、すごく嬉しかったです。

 

(鷲谷)Hさん、本当によかったね。

ここまで本当に長い道のりでしたが、介護保障ネットの弁護団の皆様その他Hさんの時間交渉に関わってくださった皆様、本当にありがとうございました。

今回の交渉で今まで秋田市では前例のない呼吸器ユーザー以外の24時間交渉に成功しました。

これを機に他の自立を希望する障害当事者が自分の望む生活を送るために必要な重度訪問介護という制度を受給しやすい環境になる道が開けたのではないかと期待しています。

今後も、障害当事者の自立支援に一生懸命に取り組んでまいりますが、また交渉が難航した際は、お力添えをお願いいたします。

本日はこのような場を設けてくださりありがとうございました。

鷲谷からは以上です。

 

(虻川)ありがとうございました。

 

(長岡)秋田からの報告、どうもありがとうございました。

このケースは、介護保障ネットに相談があってから、支給決定が出るまで3ヶ月ということで、ここはすごく早かったんですね。

行政交渉がうまくいったケースということでよかったんですけれども、ただ今のご報告お聞きしますと、一人暮らしを自分で決めた。

そこから必要な支給量の実現までには、長い交渉を要したということになりますね。

自分で決めた当たり前の地域での生活を実現するためにまだまだ道のりが長いということがわかります。

秋田での介護保障ネットが関わったケースは初めてですし、24時間介護が実現したケースも今回、まだまだ多くないということだと思いますけれど、このケースを機に、鷲谷さんの話にもあったように、取り組みがどんどん進んでいくと良いなと思います。

秋田の皆様、どうもありがとうございました。

では、事例報告としては以上ですので、司会にマイクをお返ししたいと思います。

 

(司会)事例のご報告ありがとうございました。

なお、これまでに介護保障ネットが交渉によって勝ち取ってきた14事例についてはホームページに詳細が記載されていますのでご覧ください。

本年をもって介護保障ネットは12周年を迎えることができました。

全国各地の多くの事例で重度訪問介護の支給量を勝ち取る成果を上げているものの、本日のパネルディスカッションや事例報告でも触れさせていただいた通り、まだまだ問題はあり、道半ばです。

今後も当事者や支援者、医療関係者法律家が協力して更なる道筋をつけていかねばならないところです。

皆様のご支援とご参加をどうぞよろしくお願いいたします。

以上をもちまして、介護保障ネット、12周年シンポジウムを閉会いたします。

本日は、視聴者287名、パネラー20名合わせて約300人のご参加がありました。

長時間にわたりご清聴いただき、どうもありがとうございました。